手羽作文

備忘録と反省文を兼ねて書くブログ

貶め論法

某月某日「うどん屋

今日はなまるうどんでうどんを食べていたら、後からきた客が店内をウロウロしていたため、店員が、「ご注文はこちらでお願いしま~す」と言ったら「じゃあいい!」と言って出て行ってしまった。

何だったのだろう

 

某月某日「コインランドリー」

先日、最寄りのコインランドリーで洗濯していたら、隅に置いてあるカゴに「発情!」と書かれたシールが貼ってあった。

本当に何だったのだろう

 

某月某日「男の性」

男は、顔の綺麗な女を見るとつい、心も綺麗なんだろうと錯覚してしまう。危険なことだ。

 

某月某日「ニュース備忘録」

dailynewsagency.com

 

某月某日「貶め論法」

何かを褒めたいときに、別の何かを貶めることで強調する言い方があると思うが、意外と逆効果だったりするので、注意が必要だと思う。自分もたまに、作った映像に対して「今回の面白かったよ!前のやつより全然よかった!」と言っていただくことがあるのだが、そういう時はトータルで傷ついている。

自分もやっているかもと思うと、気をつけなければならない。

 

某月某日「きんぴら」

きんぴらゴボウを食べてから、ずっと喉に違和感があるのだが、

これはもしかして、きんぴらゴボウが喉に刺さっているのだろうか。

そんなことあり得るのだろうか…

腰痛と出会った日のこと

kaitensushitaro.hatenablog.com

腰痛のことを書いているうちに、私と腰痛が出会った日のことを思い出した。

これも、忘れないように記録しておくこととする。

それは2011年3月のこと、そう、東日本大震災がきっかけであった。

大震災は、東日本だけでなく私の腰も崩壊させていたのである。

 

その時私は大学を卒業した直後で、4月から社会人になることが決まっており、つまり春休み中であった。

その最中に未曾有の大災害に直面した私は、普段ならありえないほどの義侠心を起こし、

千葉県浦安市で発生していた液状化現象による泥を除去するボランティアに参加したのである。

 

そして、そこで泥をかき出している最中に、"ヤツ"と出会ってしまった。

初めはそれほど意識もしていなかった"ヤツ"は、しばらくするとみるみるうちに私の中で存在感を増し、無視できないほど膨らんでしまっていた。

彼の名が「ぎっくり腰」であることを知ったのはその数日後だった。

 

思い返せば、絶対ダメな方法で私は泥をかき出していた。

つまり、膝を使わずに、腰の力だけで泥を持ち上げていた。

今の私が見たら思わず「やめろぉぉぉ!」と絶叫しまうような愚行である。

かくして私は腰をやってしまったのだが、不幸中の幸いか、その当日は痛みをごまかしながらも自力で帰宅することができた。

 

しかし、その翌日である。

私は立ち上がることができなくなっていた。

生まれて初めて体験する強烈な腰の痛みに私はうろたえたが、もはやどうすることもできない。

 

それにしても、ちょっとボランティアに行っただけでこれである。

私は善行を積むのに向いていない人間なのだろうか。

善行の方から、「あ、無理しないでも大丈夫ですよ〜」とやんわりお断りされたような悲しさがある。

 

現地で倒れ込まなくてよかったが、さらに義侠心を出して東北などに行っていたら、どれだけ迷惑をかけていたことだろう。ボランティアに行って足手まといになることほど本末転倒なことはない。

 

そして、初めてぎっくり腰を発症した私の次なる悲劇は、その直後に、就職に伴う引越しを予定していたことであった。

ダンボールどころか軽い荷物すら持てない私は止むを得ず両親に助けを求め、両親に荷物を運ばせて自分はそれを見ているという、ニート野郎もビックリの親不孝ぶりを発揮し、人生の汚点を作ってしまった。

 

これが私と腰痛の出会いである。もう7年経つ。

今となっては私も「中堅腰痛もち」である。

思えば長い付き合いだ。そしておそらくこれから一生付き合うのだろう。

腰痛の季節がやってきた

腰痛には季節があるらしい。

昨日腰痛になってそのことに気がついた。

ここ3年間、毎年5月に強い腰痛を発症しているのである。

何か湿度の変化などが腰に影響を与えるのだろうか。

昨年などは、5月に発症して峠を過ぎてからも、10月くらいまでずっと痛かった。

やはり湿度が関係しているのではないだろうか。

 

ここでいう腰痛の発症とは、「朝起きたら立てない」レベルの腰痛のことである。

腰が痛いかどうかで言えば、それは年中痛い。

しかし、毎年この時期に、超ド級の痛みがやってくるのだ。

 

腰痛が発症すると、まず立ち上がることができず、寝返りを打つこともできない。

這うことはかろうじてできる。

そこから、何かに捕まったりして、少しずつ立ち上がり、何とか用を足して30分経過、というスケジュール感で生活することになる。

もしかしたら腰痛は、私に赤ん坊だった頃のことを思い出させようとしているのだろうか。

あるいは逆に、赤ん坊は皆腰痛なのだろうか。

その可能性はある。

何しろ彼らは喋れないし、喋れるようになった頃には腰痛のことなど忘れているだろう。

 

そう、腰痛のことは、健康な時は忘れてしまう。

なので、こうして忘れないうちに書き留めておこうと思ったのだ。

 

今年の腰痛は、かなり急にやってきた。

発症前日から腰に痛みが出始めたと思ったら、翌朝急に「立てない…」である。

休日だったら良かったものの、大事な仕事がある日だったら大惨事である。

ましてや自分の結婚式だったりしたら悲劇だ。

新郎が這っている結婚式などあるだろうか。

腰痛持ちはおちおち結婚式の予定も立てられない。

 

その日は幸運なことに結婚式の予定はなかったが(元々結婚の予定など無いのだ)、TSUTAYAの返却期限であった。

これはこれで悲劇である。

TSUTAYAに延長料金を払うこと以上の無駄遣いなど無いと思っている私だ。何があっても返却しなくてはならない。

私は、とにかく夜まで安静にし、炎症を抑える薬などをフル活用し、ようやくかろうじて歩けるレベルに回復したところで、ついに強行軍に踏み切った。

TSUTAYAまでは徒歩5分(平常時)の道のりである。

しかも、結構な人通りの中を進まなくてはならない。

うっかり肩などぶつかった日には腰の崩壊は免れない。

私は時速1kmくらいの速度でソロソロと進んでいく。

かといって後ろから押されでもしたらそれはそれで瞬殺である。

押されただけで死ぬなんて北斗の拳のザコ敵と腰痛持ちぐらいのものだ。

 

歩きながら、「世界最弱の生き物」というキャッチフレーズが頭をよぎる。

私に今キャッチフレーズをつけるとしたらまさにそれだ。

工芸品のヤジロベエなどはこういう気持ちなのだろうか。

「人間ヤジロベエ」というキャッチフレーズなどもアリだ。

あるいは、先ほどの例えで言えば、やっと立てたばかりの赤ん坊が一人で繁華街を歩いているのと同じ状態だ。

さっきから例えが渋滞しているが、それぐらい危うい状態なのである。

 

何とか無事にTSUTAYAの返却は済んだのだが、意外と、歩いているうちに腰痛は軽くなったりすることを思い出した。

逆に安静にしすぎて、腰に全く負担をかけなかったりすると治りが遅くなるのである。

座っていて突如立ち上がったりすると、激痛が走ったりする。

背もたれに頼りすぎたりするのもあまり良くない。

この辺の機微は「中堅腰痛もち」となった今だから分かることだ。

若手の頃はわかってなかった。

 

中堅ならではの素早い処置が功を奏し、翌日にはかろうじて歩いたりはできるようになった。

だが、ここから秋まで長引かせないために、一瞬の油断も許されない。

腰痛との戦いはまだ始まったばかりなのだ。

スリランカ旅行記⑥「象の孤児院とスリジャヤワルダナプラコッテ」

↓前回の旅行記

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最終日のハプニング

ついにスリランカ旅行の3日目にして最終日を迎えた。

朝は市場を見学(テレビでよく見るような、カラフルな野菜が積み上げられた市場)し、その後は紅茶の専門店へ。

スリランカといえば確かに紅茶が有名なのは知っていたが、このツアーの例に漏れず、私が買わないと終われない。しかし宝石に比べれば安いものである。ややお土産感覚が麻痺してきているが、致し方ないことだ。

しかし、紅茶屋を後にした車内でハプニング発生!

腹痛である。

元々お腹の弱い私であったが、連日のカレー生活についに耐えきれなくなったのだろうか。ほとんど両側がジャングルというような道を走っているときに腹痛を催してしまった。

ガイドさんに伝えると、「OK」と言ってしばらく走り、小屋のような民家の前で車を止め、中に入って何事か交渉を始めた。トイレを借りてくれたのだ。頼りになるガイドさんである。さらにトイレから出ると、「これを飲め」と言って、小さなグラスに入った謎の液体を渡してくれた。

ライムと薬草を混ぜた薬で、腹痛に効くらしい。

さすが、スパイス大国のスリランカである。まさかの民間療法をここで体験することになるとは。注意点としては「一気に飲め」とのことだ。なぜ一気に飲まなければいけないのかは分からない。分からないが、3日も一緒のガイドさんである。ここは信じて一気をするしかない。民家の住人の方もとても親切で、心温まる体験であった。

 

像の孤児院

薬のおかげか腹痛は収まり、この日の目玉スポット、「象の孤児院」を訪れた。

ここでは大量の像の孤児たちが育てられており、一斉に川で水浴びする様子が壮観で、観光客たちに人気なのである。確かに、それは迫力のある光景であった。

その後、象を間近で見られるスポットがあり、その柵の周りには観光客たちが集まっているのだが、中にいた飼育委員が私に向かって「カモン!」と言っている。どうやら象に触ってみないか、と言っているらしい。

行ってみると、象に触らせてくれ、写真も撮ってくれた。しかし、この時の私は暑さでどうにかしていたのだろう。撮影後、当然のように料金を請求された。しかも約1000円である。事後なので交渉もしづらい。この3日間、スリランカで何を学んできたのだ。

カモ日本人ここにあり、である。

飼育員も、たくさんいた観光客の中から、私のカモオーラを感じて指名したのだろう。象の皮膚は硬い毛が生えていてチクチクしていたが、それよりも心にチクチクと刺さる体験であった。

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孤児院の象。ぼったくられた写真はどこかに行ってしまった。

 

最大都市コロンボ

最後に車は空港のある最大都市コロンボへ向かう。

道すがら、ついに、あの世界一名前の長い首都「スリジャヤワルダナプラコッテ」を見る。見たところでどうってことはないのだが、とりあえず見ることに意味がある、気がする。

飛行機の時間までコロンボ観光である。

都会らしくビルが並んでいたが、なんと近くにビーチがあり、そこは人々の憩いの場で、家族づれたちが凧揚げをしていた。スリランカで凧揚げがこんなにメジャーだったとは。様々な形の凧が上がっている。さらにたくさんあるベンチには、そのそれぞれに若いカップルが等間隔で座り、愛を囁きあっている。京都の鴨川みたいな状態だ。

しかしさほど広くないビーチに全年代が憩っている。若いカップルたちは、うっかり自分の家族とかと鉢合わせたりしないのだろうか。

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コロンボのビーチ

時間つぶしに、スリランカで最も大きいというスーパーに連れて行ってもらった。これが驚きで、さほど大きくない。日本の地方の一般的なスーパーとさほど変わりない。日本の豊かさを感じる瞬間だった。

夕食の前に、ガイドさんから離れて、コロンボの街を1人で散歩してみた。

3日間、カモられ続けてきた私はそれだけで緊張である。途中で軍の基地のそばを通り過ぎたり、謎の老婆に話しかけられたりもあったが、無事に元いた地点に帰還。栄えていない地域もあり、その一部を垣間見ることができた。

そして、スリランカでの最後の食事であるが、なんと中華であった。

まさかの中華である。

これまで一食も欠かさずカレーバイキングだったのに、最後だけ中華。まあ、カレーは食傷気味だったのでありがたくはあるのだが…。

そうして、スリランカの旅は終わった。

ツアーだったとはいえ、初めて1人で行った海外は、勉強になることも多く、大変実りの多いものであったと思う。

一回りたくましくなったかのような気持ちでガイドさんと別れた私だったが、その直後の出国審査で突然何事かを話しかけられ、アワアワしてしまうという体たらくで、あとでよく思い出せばどう考えても出国審査官は「How are you?」と言っていたのであり、それすら返せなかったことに、先ほど感じた成長が錯覚であることを知るのであった。

更にいえば、帰りの飛行機でも「チキンor◯#$%△&◇」の「◯#$%△&◇」が聞き取れず、結局チキンカレーを食べる私であった。本当に何も成長していないのである。

しかし、海外に行くと毎回思うが、成田についたときのあの安心感は何だろう。もしかしたらあの安心感を味わうところに海外旅行の醍醐味があるのでは、と思われるくらいに、あの安心感はプライスレスである。

スリランカ旅行記 終わり)

スリランカ旅行記⑤ 「スリランカでお買い物天国」

↓前回の旅行記

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お買い物ラッシュ

シギリヤロックを降りた私には、HISの用意したお買い物タイムが待っていた。

様々な土産物屋を回るのだ。

当然、出発前にスケジュールには目を通してはいたが、お土産に興味のある参加者向けだろうと思っていたため、さほどの意識もしていなかった。

しかし、参加者は私1人なのである。

各店で、ツアーの到着を待ち構えていた商人たちが、私1人に向けてセールストークを炸裂させるのだ。そのプレッシャーは凄まじく、どう考えても「買いません」で終われる雰囲気ではない。

押しに弱い日本人である私は、この怒涛のようなプレッシャーの波に、為すすべなく飲まれていくのであった。

 

1軒目。

スパイスガーデンという名の、スパイスやオーガニックの薬品を売っている店。

リラックス効果のあるスパイスから、永久脱毛のできるクリーム、痩身に効く薬まで、にわかには信じがたい効能が次々と語られる。全て植物を使った伝統的な製法で作られたものらしい。

1つも興味が湧かないが、肌にいいという白樺オイルを購入。

 

2軒目。

宝石屋。スリランカは宝石で有名なのだ。

30人は入ろうかというミニシアターに案内され、スリランカの宝石がいかに良質かというビデオを見せられる。30人用のミニシアターに私1人という、映画好きの大富豪のような状況だが、店側のプレッシャーをひしひしと感じながら見ているので全く落ち着かない。

さらに現れたのは占い師である。スリランカ占星術で私を占い、ラッキーストーンはブルーサファイア、でもお守りにはルビーが最適、とうやうやしく告げた。ラッキーストーンとお守りって何が違うのか。

ここまでやられて断る度胸は無い。私は小さな宝石を2つ買った。小さいといっても宝石である。これが一番の散財であった。

ちなみに、占い師は他にも、2009年から2015年の7月まで私には土星がついており、不運をもたらしていると言っていた。

不運の期間が長い…。

就職してからずっと不運に取り憑かれていることになる。だから仕事も辞めたのだろうか。

 

3軒目。

スリランカの伝統衣装の店である。

最もいらないと言っても過言ではないが、不買は許されない。

瞬く間に私はスリランカの伝統衣装を試着させられ、店員のお姉さん(伝統衣装着用)と記念撮影を撮らされ、しかし、どう考えてもいらないので、精一杯の抵抗を見せて、シルクのスカーフに落ち着いた。

ここの店員さんはこの間まで渋谷に住んでいたというお兄さんで、めちゃくちゃ流暢な日本語で私を追い詰めたのだった。

 

こうして次々と土産物を買わされた私は、寂しくなった財布をいたわりつつ、

しかし、このツアーをある程度成立させるためには必要な犠牲だよな…と自分に言い聞かせながら車に乗り込んだ。

なぜ「ツアーの成立」にこれだけ責任を感じなければならないのか

買ったもののほとんどは帰国してから両親にあげたので、有効に使われていることだろう。

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民族衣装を着せられた私。自分でも何をしているのかよく分かっていない。

 

キャンディという街

その日の夜は、キャンディという街で「キャンディアンダンス」という伝統的なスリランカのパフォーマンスを見た。

キャンディアンダンスのパフォーマーは、センターの若い女性を除いてベテランの中年女性たちが担当しているのだが、腹を露出する衣装の割に全員肉がはみ出しており、「あれだけ激しく踊っているのになぜ痩せないのか?」という疑問が残った。

 

最後は仏歯寺という寺を見学。

スリランカには熱心な仏教徒が多く、ブッダの歯が収められているという巨大な寺院は、参拝する人たちで溢れかえっていた。

床で瞑想している人も多く、日本よりもはるかに熱心な仏教国という印象を受けた。

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キャンディの寺院

 キャンディの街は、中央に湖のあるとても栄えている街で、夕日が沈む様子はそれはそれは美しかった。

その日のホテルは最終宿泊地であったが、これが、今までの2箇所と比べてグレードが高く、思わずテンションが上がってしまった。

思えばHISの構成の妙に踊らされているのだが、流石としか言いようがない。

↓次回、ついに最終回

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