手羽作文

備忘録と反省文を兼ねて書くブログ

愛とスマイル

某月某日「愛とスマイル」

ファミレスで作業中、「♪愛とスマイル 愛とスマイル~」と連呼する曲が流れていて、聴いている最中は「何だこのダラダラした曲は」と思っていたのだが、1時間後くらいに急激に気になり始め、

ただその時には「愛と何だっけ?」みたいな状態になっていたため、

USENのサイトで検索したり、歌詞検索をかけたりして、何とか、柴咲コウの「愛とスマイル 愛とスマイル」という曲であることを突き止めた。

そのままのタイトルだった。

タイトルの時点で既に連呼していた。

別にシングル曲ではなさそうだし、MV動画もあるわけでもない、2015年の曲なのだが、なぜ今流れていたのだろう。

そして、あのリサーチに費やした1時間の情熱は何だったのだろう。

今では頭の中で、常に「♪愛とスマイル 愛とスマイル~」と流れていて気が狂いそうだ。

 

ここでちょっとだけ聴ける

www.youtube.com

 

某月某日「アウェーの松屋

松屋のカウンターで回鍋肉定食を食べていたら、10人の東南アジア系の旅行客が入ってきて、5人:5人で私の両側を固めてしまった。

私が移動すればどうにかなるというスケール感ではない。

店内は一気に異国情緒で満ち溢れ、近所の松屋はアウェーになった。

私は両側からの圧に耐えきれず、「いっそのこと俺もこの人たちの仲間になれば楽なのに」と思った。

そのあと、「これがオセロの駒の気持ちか」と思った。

 

某月某日「イメージ戦略」 

ベッキー乙武さんの件で、我々は「イメージ良すぎるのもいざという時不利」という教訓を得たと思う。

最近仕事で知り合った人で、めちゃくちゃ爽やかかつ物腰も柔らかいのだが、会議でとある件の進捗状況を尋ねられると「忘れてました!」と平気で言う人がいる。

しかも爽やかに言うのである。

もしかしたら彼の「忘れてました!」は「イメージを良くし過ぎない」ための布石なのかもしれない。

「忘れてました!」のおかげで、彼を単なる「好漢」で片付けられない自分がいる。

底が見えないのである。

最悪、彼にマフィアのボスという裏の顔があってもギリギリ納得できそうな、そんな底の見えなさだ。

ベッキーにもそういう一面があれば、あれだけダメージを受けずに済んだかもしれない。(大きなお世話だと思うが

 

某月某日「カモ飼い」

作業中のカフェで、明らかにマルチ商法のリーダーをやっている人を見た。

一角に陣取り、30分ごとにやってくる参加者(カモ)に、全く同じ説明を繰り返している。

(口癖は「まずは半年頑張ってみよう!」)

1人が去るとすぐ次のカモがやってきて、途切れることがない。

おそらく、カモたちはこの狭いカフェのどこかに控えていて、自分の番が来るまで待っているのだ。

一体このカフェに何羽潜んでいるのだろうか

この店にいる自分以外の全員がカモだったらどうしようなどと考えだして仕事が進まない

 

某月某日「強さについて」

YouTubeのコメント欄でこの書き込みを見て、思わず唸ってしまった。

なるほど、確かにそうかもしれない

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このコメント主のことをYouTube界のスナフキンと呼びたい。

渋谷のカラス

某月某日「怒り」

社会人になってから徐々に、怒ることが少なくなっていった。なぜだろうと考えてみたら、性格が穏やかになったのではなく、怒るようなことが降りかかったときに、それをやり過ごして考えないようにする方法をいつの間にか身につけたからだ。考え始めると「これは怒ってもいいよな」という気持ちが出てくるが、そもそも考えないので、怒りも湧かないという仕組みだ。昔は、全てのことに正面からぶつかっていたから、怒りを感じることが多かった。

 

某月某日「オシャレ」

よく深夜作業をしに行くファミレスには、毎晩そこで夜を明かすおばあさんがいる。いわゆるホームレスだ。ただしファミレスに住んでいるホームレスだ。ボロボロの、明らかにそれとわかる出で立ちで、いつもの席に座り、何か紙切れを読んでいる。彼女の指には指輪がはめられている。ボロボロの中にもオシャレがある。いつも思うがオシャレとは相対的なものだ。

 

某月某日「喫茶店

茶店で一息つくことの価値をひしひしと感じるようになった。

昔は喫茶店で使う金があるならラーメン屋に行っていた。

どう考えても大人になってきているのである

 

某月某日「サイゼリヤ

最近の深夜作業は専らサイゼリヤだ。

サイゼリヤは安いし美味しいので大好きだが、店内に無駄に壮大なオペラが流れているのは何故だろう。

壮大なオペラをバックに299円のペペロンチーノを食べていると、段々不思議な気持ちになってくる。

戦争で生き別れた男女が20年ぶりに再会するようなシーンで流れてそうな曲だ。

 

某月某日「カラス」 

朝の渋谷はカラスの街だ。

何しろカラスの方が人間より多いのである。

人間を恐れる気配もないし、時にはからかうようにやたら近くを飛んできたりする。

徹夜明けの私は、いつも肩を狭めて、カラスの気に障らないように歩く。

頭の中では「西暦20XX年、地球はカラスによって支配された」というナレーションが流れる。

徹夜明けで頭もおかしくなっているのだ。

「不毛地帯」あるある

・千里が壱岐家にいる時、不意の来客ありがち

・千里と壱岐、京都の寺寄りがち

・関係者全員、同じクラブで接待しがち

壱岐と長男の誠、会うたび喧嘩しがち

・神森、キツい言い方しがち

・神森、すぐに機嫌直しがち

・鮫島、変な笑いで会話締めがち

・金子、いつの間にか出世しがち

・黄会長の顔、栄養満ち足りがち

・説明台詞長くなりがち

貶め論法

某月某日「うどん屋

今日はなまるうどんでうどんを食べていたら、後からきた客が店内をウロウロしていたため、店員が、「ご注文はこちらでお願いしま~す」と言ったら「じゃあいい!」と言って出て行ってしまった。

何だったのだろう

 

某月某日「コインランドリー」

先日、最寄りのコインランドリーで洗濯していたら、隅に置いてあるカゴに「発情!」と書かれたシールが貼ってあった。

本当に何だったのだろう

 

某月某日「男の性」

男は、顔の綺麗な女を見るとつい、心も綺麗なんだろうと錯覚してしまう。危険なことだ。

 

某月某日「ニュース備忘録」

dailynewsagency.com

 

某月某日「貶め論法」

何かを褒めたいときに、別の何かを貶めることで強調する言い方があると思うが、意外と逆効果だったりするので、注意が必要だと思う。自分もたまに、作った映像に対して「今回の面白かったよ!前のやつより全然よかった!」と言っていただくことがあるのだが、そういう時はトータルで傷ついている。

自分もやっているかもと思うと、気をつけなければならない。

 

某月某日「きんぴら」

きんぴらゴボウを食べてから、ずっと喉に違和感があるのだが、

これはもしかして、きんぴらゴボウが喉に刺さっているのだろうか。

そんなことあり得るのだろうか…

腰痛と出会った日のこと

kaitensushitaro.hatenablog.com

腰痛のことを書いているうちに、私と腰痛が出会った日のことを思い出した。

これも、忘れないように記録しておくこととする。

それは2011年3月のこと、そう、東日本大震災がきっかけであった。

大震災は、東日本だけでなく私の腰も崩壊させていたのである。

 

その時私は大学を卒業した直後で、4月から社会人になることが決まっており、つまり春休み中であった。

その最中に未曾有の大災害に直面した私は、普段ならありえないほどの義侠心を起こし、

千葉県浦安市で発生していた液状化現象による泥を除去するボランティアに参加したのである。

 

そして、そこで泥をかき出している最中に、"ヤツ"と出会ってしまった。

初めはそれほど意識もしていなかった"ヤツ"は、しばらくするとみるみるうちに私の中で存在感を増し、無視できないほど膨らんでしまっていた。

彼の名が「ぎっくり腰」であることを知ったのはその数日後だった。

 

思い返せば、絶対ダメな方法で私は泥をかき出していた。

つまり、膝を使わずに、腰の力だけで泥を持ち上げていた。

今の私が見たら思わず「やめろぉぉぉ!」と絶叫しまうような愚行である。

かくして私は腰をやってしまったのだが、不幸中の幸いか、その当日は痛みをごまかしながらも自力で帰宅することができた。

 

しかし、その翌日である。

私は立ち上がることができなくなっていた。

生まれて初めて体験する強烈な腰の痛みに私はうろたえたが、もはやどうすることもできない。

 

それにしても、ちょっとボランティアに行っただけでこれである。

私は善行を積むのに向いていない人間なのだろうか。

善行の方から、「あ、無理しないでも大丈夫ですよ〜」とやんわりお断りされたような悲しさがある。

 

現地で倒れ込まなくてよかったが、さらに義侠心を出して東北などに行っていたら、どれだけ迷惑をかけていたことだろう。ボランティアに行って足手まといになることほど本末転倒なことはない。

 

そして、初めてぎっくり腰を発症した私の次なる悲劇は、その直後に、就職に伴う引越しを予定していたことであった。

ダンボールどころか軽い荷物すら持てない私は止むを得ず両親に助けを求め、両親に荷物を運ばせて自分はそれを見ているという、ニート野郎もビックリの親不孝ぶりを発揮し、人生の汚点を作ってしまった。

 

これが私と腰痛の出会いである。もう7年経つ。

今となっては私も「中堅腰痛もち」である。

思えば長い付き合いだ。そしておそらくこれから一生付き合うのだろう。