たまに中国向けのインバウンド案件を捌くため、うちの職場では中国人の方も働いている。この人は中国語、日本語だけでなく英語もペラペラなスーパーウーマンで、しかも私より年下の20代という、才能と未来あふれる人である。
だいたい、日本にいる中国人は英語も喋れる人が多い。でもよく考えたら当たり前で、日本語などというマイナー言語を覚えるのは、英語を覚えて、まだ余力があったからついでに、ということなのだろう。
何年も英語を勉強して、ついに一言もしゃべれない私とは大違いである。中国はスケールがデカい。ダメな人も多いが、優秀な人も多いのである。
そんなこんなで、私も中国語を勉強することになり、本屋に行って初心者向けの本を買ったりし始めた。
ちなみに、その本の最初の方に書いてあった例文が、
「我不是日本人(私は日本人ではありません)」
私が、一生使うことのない中国語である。
付属のCDを聞きながら、何回かリピートして練習したところで気がついた。自分は、この文章を会話の中で使うことは恐らくないだろう。なぜなら私は日本人だからである。将来、私が日本以外の国に帰化して、それを中国語で誰かに伝えないといけなくなった時のみ使う可能性があるが、渡辺直美の餓死くらいありえないことである。
もちろん、あくまでも構文を勉強するための一例で書かれている文章なので、そんなに深い意味はないはずなのだが、それにしてもセンスのない参考書である。例文には丸暗記したくなるような便利フレーズを持ってくるべきなのだ。
そうして自らのひねくれた心によって、早速つまづいた中国語学習をどうにかするべく、例の同僚の中国人に「よく使う中国語」を聞いてみることにした。
実際の中国人がよく使うフレーズを覚えれば、堅苦しい構文よりもよっぽど役に立つだろう。よく外国人が「ナンデヤネン!」などと片言で言うとそれだけでウケるのと一緒だ。
その結果、彼女が教えてくれたフレーズは
私想死(死にたい)
であった。
私はしばし沈黙した。中国語のボキャブラリーを増やしにいったはずなのに、日本語すら出てこなくなったのである。よくよく聞いてみると、彼女は、仕事で嫌なことがあった時など、「我想死、我想死」と呟くらしく、実際によく使っていた。
ここで言えることは、これもまた、
私が、一生使うことのない中国語である。
ということである。
仮に私が将来自殺願望を抱いて、それを中国人に吐露するという時のみ使う可能性があるが、北島康介の溺死くらいありえないことである。
結局、使える中国語フレーズは手に入らなかったが、しかし、そのインパクトの強さに、結局私は「我想死」を忘れられなくなり、私の乏しい中国語ボキャブラリーの中核を成している。
ちなみに、彼女は「我想死」の発展形として、
我好累、私想死(疲れた、死にたい)
というのも教えてくれた。私が「フランダースの犬」のネロ役を中国語で演じる機会があれば使うかもしれない。
こちらから見ればスーパーウーマンに見える彼女にも、人知れず悩みがあるのだろう。そんなことを考え始めた私は、語学の勉強をしていたはずなのに、結局どんどん脇道に逸れていったのだった。