先日録画したMステを見ていたら、「今年の曲といえば!?」というランキングで、欅坂46の「サイレントマジョリティー」がランクインしていた。この曲は確かに人気のある曲で、YouTubeでも再生回数はかなり高い。
私自身歌詞に共感するところもあり、この歌の強いメッセージ性には衝撃を受けた。例によって作詞は秋元康である。さすが秋元先生、いい詞書くなあ…と呑気に聞いていたが、よく考えたらこんなに恐ろしい詞もない。
それはひとえに、「この世界は群れていても始まらない」と、少女たちの群れに歌わせる秋元先生の恐ろしさである。
今まで何百人もの少女たちを群れにし、その群れを何個も作ってさらに群れさせることでグループを形成してきた、いわば「群れ」の熟練工である秋元先生が、新たに群れさせた少女たちのデビュー曲で「群れてもダメ」と歌わせるこの歪み。
今まで群れてきた少女たち、そして新たに群れた少女たちを全否定するこの歌詞。
5個か6個目に作ったグループに
「誰もいない道を進むんだ」
と歌わせる不思議。
「似たような服を着て 似たような表情で」
と、似たような服を着た少女たちが似たような表情で歌う不条理。挙げ句の果てに、
「大人たちに支配されるな」
である。
アイドルほど大人たちに支配されている若者はいないじゃないか
秋元康はどういうつもりでこの詞を書いたのだろうか。もしかしたらジョークのつもりで書いたのかもしれない。この歌が連日テレビで少女の群れによって歌われるということ自体が最高に不条理で、大掛かりなブラックジョークなのだ。
しかし、なんだかんだ言ってこの歌詞に励まされる自分もいるのである。でも、それこそまさに秋元先生の手のひらで踊らされているようで、悔しいのだ。