最近、鼻毛が伸びるようになってきた。
1年くらい前、ふと鏡を見たら鼻毛も穴から顔を出してこちらを見ていた。
目があってしまった。
私は少し呆然として、それを切るべく、大きなはさみを持ち出し、
彼(鼻毛)を切ろうとした。しかし、当たり前だが、大きなはさみは鼻毛を切ることには適しておらず、悪戦苦闘しているうちに、彼(鼻毛)は姿を消してしまった。
私は彼を切るのに適した大きさのはさみを持っていなかった。
それまで、彼が穴から出てくることなんてなかったからだ。
実際に彼が「こんにちは」している人を見たことは何度もあったし、ギャグ漫画等でも慣れ親しんだ表現だったのだが、自分とは無縁だと思っていた。
これまでの人生で彼が出てきたことなど1度もなかった。
しかし、突如として彼は私の前に出現したのである。
そして、やっかいなことに、忽然と姿を消してしまったのだ。
私は怯えた。
ちょうど、一度都心を蹂躙したゴジラが海に消えていった後の緊張感と同じである。
いつまた彼が現れるかわからない恐怖。
それが自宅の鏡の前ならいい。
しかし、出先で現れた日には、シャレにならない。
そこで私は、鼻毛カッターという専用兵器を購入し、殲滅作戦を開始した。
ちょうどゴジラに対して自衛隊がミサイルを投入するのと同じである。
こうして、私と彼の戦いは始まった。詳しい戦いの経緯は書かない。
あまりにも地道で、あまりにもありふれた戦いだったからだ。
しかし、1つだけ、わかっていることがある
この戦いは、死ぬまで終わらないということだ。
どうも 人間は年をとればとるほど、耳毛と鼻毛と眉毛が長くなるようだ。
耳から毛が生えてくるなど、全く想像もつかないことだが、やがて変化は容赦なく私に訪れるだろう。やがては誰もが川内康範先生の境地に達するのである。
人間というのは、否応なしに変わっていく生き物だ。30歳を間近にして、つくづく思う。
胃もたれ、不眠、軽い鬱、猫を可愛がる気持ち…
どれも10年前には欠片も持ち合わせていなかった。
「自分」とは、極めて流動的なものだ。10年後の自分のことなど、自分でも分からない。