手羽作文

備忘録と反省文を兼ねて書くブログ

ドラクエ「くさったしたい」が突きつけてくる哲学

ドラクエ3を3DSのダウンロードソフトで初プレイ。

ポケモンは初代からずっとやってきたが、ドラクエはほとんどプレイしたことはなく、色々と新鮮だった。昔のゲームは良い意味で荒削りだったりするので、今となってはそこが面白い。(当時としては最先端だったのだろうが…)

 

せっかくの呪文を唱えた後の、「しかし、きかなかった!」の理不尽さはどうだろう。取りつく島もないとはこのことだ。昨今の冒険のヒントまみれのゲームになれてしまった脳からすれば、すがすがしいほどだ。でも実際、社会に出てみるとそんなことばっかりなんだよな。

 

なかでも一番身にしみたのは、戦闘中のくさったしたいはみをまもっている!」である。

 

死体となり、さらに腐ってまで、まだ身を守るのか…

 

生きている人間からすれば、これほど「失うものなど何もない」という状態なのに、まだ、我が身可愛さに身を守ってしまうというのは、ある種の人間に対する示唆的なテーマを含んでいるような気がする。

 

ファンなど一人もいないのに、プライドばかり高いミュージシャン…

90歳を過ぎて、まだ死を怖がる老人…

 

ハタから見れば滑稽だが、どうしても人は自分を可愛がり、変化を恐れてしまうものなのである。私たちは、もしかしたら腐った死体のように、必要以上に自分を守っていないか?そんな問いを、ドラクエ3は突きつけてくるのだろうか。

 

ちなみに、「くさったしたい」は平仮名であるため、実際には、「腐った肢体」である可能性もある。まだ死んではいない、という説だ。謎のウィルスに感染してしまい、生きながらにして、腐っていく肢体…

こっちのほうが怖いか

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