手羽作文

備忘録と反省文を兼ねて書くブログ

「君の名は。」YouTubeでも革命を起こしていた

君の名は。」は日本映画界に革命を起こした。こんなにも映画が売れない時代と言われていたのに、100億円突破の大ヒットである。しかし、その裏で、地味にYouTubeにも革命を起こしていたのだ。

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年に1度か2度のビッグウェーブ

 YouTube界には、定期的に、爆発的な流行曲というのが現れる。大体年に1曲か2曲という感じで、その定義は、

①本家の再生回数が凄まじい(基本は1000万回以上)

②2次創作の量が多く、それらも再生されている(基本は100万回以上)

というものだ。(私の独断と偏見です)

YouTuberや、YouTubeで仕事をしている人間たちは、この流れをすかさず捉え、自らの戦略に取り込む。サーファーのように、波の動きに常に注意を払っていなければならないのである。なぜなら、ビッグウェーブは常に中高生から湧き起こるものだからだ。謙虚なる我々社会人は、ただひたすら彼らを見守るしかないのである。彼らを理解しようとしてはいけない。理解したと思ってもいけない。起こってきた波に「理解できない」といって逆らうのも賢くない。

ちなみに2015年は、そのビッグウェーブは「YouTubeのテーマソング」と「トリセツ」であった。

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個人的には「トリセツ」はともかく「YouTubeのテーマソング」は激烈にダサいと思うし、そういう声も多いのだが、一度起こってしまった大きな波は、バッシングすら糧にしてその勢いを増していく。2次創作、3次創作が作られ、そこに人が集まる限りは、そこに金も集まっていくのである。金が集まるところには逆らえない、それが社会人だ。

そんなYouTubeの海は、2016年上半期は凪が続き、非常に穏やかな水面を見せていたが、8月になって沈黙は破られた。その曲こそが、「前前前世」である。

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思い返せば、RADWIMPSは決してYouTubeと相性の良いアーティストではなかった。もちろん人気はあったし再生数もあったが、どちらかといえば今の中高生の1つ上の世代に刺さったアーティストであり、back numberや西野カナの存在感には遠く及ばなかったのである。(この際、CD売り上げ順位などは全く関係ない。あくまでもYouTube界での再生回数・人気である。AKB商法が蔓延する現代において、CDランキングだけでは何もわからない)

ところが、突然現れた「前前前世」は瞬く間にYouTube界の覇権を奪った。8月の月間再生回数で1位を獲得するのだ。

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なぜかといえば、もちろんそれは、君の名は。」が中高生に刺さったからである。「君の名は。」が彼らに改めてRADWIMPSを紹介し、受け入れられた、と言えるだろう。

それだけで終わらなかった「君の名は。

しかし、「君の名は。」とRADWIMPSがそれだけで終わらなかったことは、YouTube界にとって初体験だった。「前前前世」が少しずつ飽きられ始めると、すかさず挿入歌が盛んにカバーされ始め、再びYouTube界は君の名は。」一色になった。主に、「スパークル」と「なんでもないや」のカバー動画が次々と再生回数100万越えを達成し、関係者を驚かせた。

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1つのコンテンツから、複数の曲が人気を博し、それらが次々とカバーされてそのカバーも人気を博すという、いくつものビッグウェーブが同時に起こる現象が起きたのである。前代未聞であった。ここまでの規模でそれを成し遂げたコンテンツは今まで無く、「君の名は。」から出てきた曲たちによって、逆に「君の名は。」の興行収入も大いに上がったはずである。実際、私の周囲にも、「映画を観る前から挿入歌は知っていた」という人間が何人もいる。ずっと関連曲を聞いていれば、自然と「映画も見てみよう」という気にもなるかもしれない。また、挿入歌たちは本家動画がないため、もう1度聞きたいと思った人は映画をもう1度観なければならない。「君の名は。」の驚異のリピート率の一因であろう。

そうして9月は、挿入歌のカバー動画が1位になった。

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こうして今年のビッグウェーブは「君の名は。」に持って行かれた。その後、PPAPの流行によってすこし落ち着いてきた感があるが、正直、PPAPよりも「君の名は。」関連動画の方がインパクトは強かった気がする。ちなみに、最近は星野源の「恋」及び「恋ダンス」も流行っているが、「踊ってみた」などの2次創作の再生回数がイマイチ伸びず、今年はもう大きな波も無く終わっていきそうな予感である。