手羽作文

備忘録と反省文を兼ねて書くブログ

腰痛と出会った日のこと

kaitensushitaro.hatenablog.com

腰痛のことを書いているうちに、私と腰痛が出会った日のことを思い出した。

これも、忘れないように記録しておくこととする。

それは2011年3月のこと、そう、東日本大震災がきっかけであった。

大震災は、東日本だけでなく私の腰も崩壊させていたのである。

 

その時私は大学を卒業した直後で、4月から社会人になることが決まっており、つまり春休み中であった。

その最中に未曾有の大災害に直面した私は、普段ならありえないほどの義侠心を起こし、

千葉県浦安市で発生していた液状化現象による泥を除去するボランティアに参加したのである。

 

そして、そこで泥をかき出している最中に、"ヤツ"と出会ってしまった。

初めはそれほど意識もしていなかった"ヤツ"は、しばらくするとみるみるうちに私の中で存在感を増し、無視できないほど膨らんでしまっていた。

彼の名が「ぎっくり腰」であることを知ったのはその数日後だった。

 

思い返せば、絶対ダメな方法で私は泥をかき出していた。

つまり、膝を使わずに、腰の力だけで泥を持ち上げていた。

今の私が見たら思わず「やめろぉぉぉ!」と絶叫しまうような愚行である。

かくして私は腰をやってしまったのだが、不幸中の幸いか、その当日は痛みをごまかしながらも自力で帰宅することができた。

 

しかし、その翌日である。

私は立ち上がることができなくなっていた。

生まれて初めて体験する強烈な腰の痛みに私はうろたえたが、もはやどうすることもできない。

 

それにしても、ちょっとボランティアに行っただけでこれである。

私は善行を積むのに向いていない人間なのだろうか。

善行の方から、「あ、無理しないでも大丈夫ですよ〜」とやんわりお断りされたような悲しさがある。

 

現地で倒れ込まなくてよかったが、さらに義侠心を出して東北などに行っていたら、どれだけ迷惑をかけていたことだろう。ボランティアに行って足手まといになることほど本末転倒なことはない。

 

そして、初めてぎっくり腰を発症した私の次なる悲劇は、その直後に、就職に伴う引越しを予定していたことであった。

ダンボールどころか軽い荷物すら持てない私は止むを得ず両親に助けを求め、両親に荷物を運ばせて自分はそれを見ているという、ニート野郎もビックリの親不孝ぶりを発揮し、人生の汚点を作ってしまった。

 

これが私と腰痛の出会いである。もう7年経つ。

今となっては私も「中堅腰痛もち」である。

思えば長い付き合いだ。そしておそらくこれから一生付き合うのだろう。