手羽作文

備忘録と反省文を兼ねて書くブログ

なりました。

白桃

人間が人工的に作り出す香料の中で一番レベルが高いのは「白桃」だと思う。最近はいよいよ、皮と果肉の境目の微妙な甘酸っぱさまで再現してないだろうか。ここまできたら、そろそろ実物の桃も作れるのではないだろうか。

桃香料開発の人よ。あなたは香り界に収まらない実力の持ち主なのだ。自信を持って羽ばたいて欲しい。

 

痩せたて

銭湯で、まだ若いのに身体中の皮がダルダルな、「最近、急激に痩せたっぽい人」を見てしまった。

テンション上がった。

 

舵をとれ

カラオケに、長渕剛の「captain of the ship」のショートバージョンというのがあったので歌ってみた。11分の曲が6分になっていた。

きっとカラオケ製作者なりに、舵を取ったのだ。

 

狂ったAI

PCの変換機能が最近おかしくなり、「ヨネオカ」と打つと勝手に「むらい」に変換するという暴挙に出始めた。誰なんだ、村井って

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なりました。

カップルが成立した時、はにかみながら「私たち、付き合うことになりました(照)」と報告する輩がいる。私のような屁理屈人間には「なりました」の意味が分からない。「なりました」ってまるで不可抗力で決まったような言い草だが、どっちかが告白してどっちかがOKしたんだろう!?それは自由意志なんだから正しくは「付き合うことにしました」だろう!何を照れ隠しに「なりました」を使うなバカ野郎!

「今年で30歳になりました」「すっかり秋になりました」「私は有罪になりました」「社長の一存でA案になりました」「やっぱり気が変わってB案になりました」などの不可抗力な現象とは別物なのである。気をつけて欲しい。

 

こういうこと言えば言うほどモテない。

親切の成立

親切の成立

電車でぼーっとスマホを見ていた。目的の駅は次だ。あと数分で降りるというところで、目の前に赤ちゃんを抱えたお母さんが立っていた。

私は、一瞬迷った。

あと数分でどちらにせよ席を立つ。あえて譲って善人ヅラするのもどうなんだろう。だが、この場合の最悪のケースとしては、私の隣に座っている50代くらいのおばさんが、私より先に席を譲ってしまうことだ。“子連れに席を譲らないどころかおばさんに席を譲らせて知らんふりの大バカ極悪男性”になってしまう。

それは避けたい。

私は席を立った。すると、お母さんは「大丈夫です。次で降りるので」と言うではないか。席を譲りに行って断られることほど恥ずかしいことはない。親切と遠慮の間に発生する真空ポケットに落ちると、気まずい上に容易には抜け出せないのだ。(これが、いつも私が席を譲る前に一瞬迷ってしまう理由だ)

だがもう後には引けない。

私はとっさに「僕も次降りるので」と言った。だから何だ、という発言だ。だが、私の鬼気迫る顔に気圧されたのか、お母さんは「じゃあ…」と言って、空いた席に、近くにいたもう1人の子供(幼稚園児くらい)をそこに座らせた。

何とかギリギリ成立した私の親切だったが、数分後、電車は駅に到着し、私、お母さん、その子供達は皆、ぞろぞろと降りたのだった。

あの時間は何だったのだろう。

 

署名

最近多いのだが、携帯の契約の時などに、タブレットに電子ペンみたいなやつで署名するやつ。幼稚園児かっていうくらいものすごく下手な字になるのだが、あれ意味あるのだろうか。

あとで「これ、あなたの字ですよね?」と言われても何とも言えない。

 

しみじみ

水野晴郎のように「いやあ、組織って本当に恐ろしいもんですね」と言ってみる。

少しは和むだろうか

 

絶叫

スマホの音量設定をマックスにしていたことを忘れて、そのまま適当に音楽を再生してしまった。鼓膜に「ヌォオオオムオァアアクラアアアアアイ!!!」と絶叫が突き刺さる。

D51の「NO MORE CRY」だった。

泣くわ、こんなもん。

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たぬき

難所

私はいつもカラオケでキーを6に設定するくらい高い声の出ない人間だ。逆に低い声なら大抵出る。そんな私でも、かなり集中しないと歌えない、地を這うようなフレーズがある。

それは、19の「あの紙ヒコーキ曇り空わって」の「“大丈夫さ?裏切られることはもう慣れてるから”」の「から」の部分だ。この「から」はかなり低い。「から」と言おうとしてただの唸り声になっている時もあるほどだ。

そのあとサビの「夢を描いたテストの裏~」で一気に高くなるため、安易にキーも上げられない。

 

古民家カフェ

以前住んでいた家の近所に、日当たりが悪くて居心地の悪い古民家カフェがあった。

古民家カフェが、居心地悪くちゃおしまいだ。

 

福山ファン

半年に1度くらい、深夜1時過ぎに、マンションの隣の部屋から大音量で、福山雅治メドレーが聞こえてくる。「家族になろうよ」「最愛」などのバラードBESTだ。迷惑だし、怖いのだが、選曲を見ると悪人とも言い切れない。

 

たぬき

30歳の夏。冷やしたぬきそばの美味さをしみじみと理解する。昔は、この良さを理解できなかった。天かすに価値などないと思っていた。だが今なら分かる。冷やしたぬきそばは、優しい。かき揚げのように尖らず、きつねのような濃さもない。ただ、サクサクするだけだ。サクサクサクサク気づいたら、どこかへ消えている。

冷やしたぬきそばを食べているおじさんを見かけたら、優しくしてあげてください。

 

言い方

「腰が痛い」と言っていても仕方ないので、表現を変えて「腰が泣いてらあ」と言ってみたらどうだろう。少しは何かが変わるだろうか。

 

カラオケ

1人でカラオケに行き、カントリーロードを歌って、しかも高得点を出してしまった。

疲れてるのだろうか。

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新時代の神

新時代の神

YouTubeの仕事をしていると、再生数が思ったように上がらず苦境に陥ることも多い。動画の内容は申し分ない。サムネもタイトルも練りきった。それでも、再生数がなかなか上がらない時、どうするか?

祈るしかない。

何に祈るのか?

YouTubeアルゴリズムである。

人智を超えた、何か巨大なものを前にした時、人間は自然と祈る。古くは天候や大自然、そしてそれらを司る神々だろう。だが、私にとってそれはYouTubeアルゴリズムだ。今やYouTubeアルゴリズムの動きを正確に予測できる人間は世界中どこにもいない。だが、アルゴリズムの動き一つで動画の再生回数は何倍にも変わる。それで金が、人生が動く。祈るしかない。

アルゴリズムは新時代の神なのだろうか。

 

ハンバーガーの成分

特に好物でもないのだが、ハンバーガーというのは、単に「ハンバーグをパンで挟んだもの」とは言い切れない魅力がある気がする。例えば、サンドイッチは、パンと具材を分けてもさほど違いはないと思う。カツ丼なども、カツ煮と白飯に分けても美味さは損なわれない。だが、ハンバーグをそれぞれの具材に分けたら、その魅力の半分以上は損なわれるのではないか。(ハンバーガーの肉は、単独で見ると非常にみすぼらしいが、挟んでしまえば気づかない)

一体何が彼らをハンバーガーに仕立てるのだろうか。

アメリカンドリームだろうか。

 

涼宮ハルヒの影響

アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」を今更ながら観始めた。まだ序盤なのでなんとも言えないが、この語り口や展開には既視感があった。なぜだろうと考えてみると、大学時代、学生演劇の舞台で似たようなものをたくさん観たからだ。天真爛漫な美少女に、理屈っぽいが押しに弱く、不自然に語り口が文語調の男子が、なぜか気に入られ振り回される、という定型だ。

そうか、あの頃量産されていた奇妙な学生演劇は、みんなハルヒの影響を受けていたのか。

 

ラブストーリーの仕組み

地味で取り柄のない主人公が、ハイクオリティな異性に「なぜか」気に入られる、という展開は、少女漫画含め、古今東西のラブストーリーの王道である。なぜ気に入られるのか、理由はない。

でもそれでいいのだ。

受け手はその余白に自分を当てはめることができる。

 

特等席

実写版「アラジン」を、満席の日曜の映画館だというのに、信じられない良い席で見た。たまたま、中段、スクリーンの正面が空いていたのだ。

なぜか?

それは、皆カップルで観に来ているからだ。両側からカップルが埋めていった結果、ポケットのように空く1席があるのである。

私はそれを「孤高の特等席」と呼びたい。

なるべく格好良く呼ぶことで色々紛らわしたい。

映画「アメリカンアニマルズ」を観て考えたこと

2回観てしまった

アメリカンアニマルズ」という映画を2回も劇場で観てしまった。

(↓この予告編、サムネが勿体無いですね)

https://www.youtube.com/watch?v=LBg6xhhwWy0

www.youtube.com

 

映像制作を生業にしている私だが、あろうことかじっと座って映像を見るのが苦手で、映画視聴体験の乏しさは、大きなアキレス腱になっている。その私が、劇場に2回も足を運んでしまった。こんなことになろうとは、1回目観る前は当然予想していなかった。

ちなみに、1回目見終わった後も、予想していなかった。

 見終わってしばらくした後、2回目を観に行こうか迷い始めた。「アメリカンアニマルズ」が実は傑作だったのではないかと思い始めたのだ。だが、結末の分かっている映画を2時間じっと座って観ることができるだろうか、という不安があった。決してハラハラドキドキのスペクタクルではない。

どうせ2回観たら、退屈するだろうと思っていた。

 

そこで、今日は痛快アニメ映画(という噂の)「プロメア」を観に行こうと思っていた。

だが、私があたふたとチケット売り場についた時、「プロメア」は上映が始まって2分経っていたし、既に満席になっていた。私は小走りで来たので汗だくで、雨にも濡れていた。どう考えても「プロメア」目当ての客だ。映画館のスタッフはそんな私を冷ややかな目で見ながら、「プロメアは上映が始まっています。満席でチケットの購入はできません。もしネット予約をされている場合は、自動発券機をお使いください」とマイクでアナウンスした。アナウンスという体をとっているが、フロアには汗だくの私と、自動発券機をいろいろ押しながら、「う~ん」と唸っているおじさんしかいない。

私に言っているのだ。

私は上映に遅れた上に、予約もしていないことが、とても恥ずかしく無能なことに思えた。どうにか、「プロメア」目当ての客だと思われないよう、他の映画を観にきたことにしようと思った。そこで、「アメリカンアニマルズ」の表示を見つけ、何食わぬ顔で、チケット係に「アメリカンアニマルズ1枚」と言った。

こうして、場当たり的に2回目の鑑賞が決定したのだった。

 

だが、アメリカンアニマルズの上映まで、50分もあった。

きっと、チケットカウンターの女性からすれば、「急いでプロメアを観に来たが、満席だと知って慌てて別の映画を観るつもりだったように誤魔化した人」に見えていたことだろう。つまり、こちらの心の動きは全てバレていただろう。映画館で働いていれば、このような客は、きっと1週間に1人、いやもっと見るのではないだろうか。

つまり、私の誤魔化し方は、とても凡庸で杜撰だった。

 今思えば、とても「アメリカンアニマルズ的」だったと思う。日常の中にも、アメリカンアニマルズは潜んでいる。

 

結論から言えば、2回目のアメリカンアニマルズは、前半やや退屈だった。だが、後半は1回目よりも、心に刺さる視聴体験だったと思う。このどっちつかずな感じも、「アメリカンアニマルズ的」な感想だ。(ウザいと思うのでもうこの表現は使いません)

だが、この映画は結局のところ、傑作だった気がしている。その理由について、この文章で述べていきたい。

 (お断り:ここから先はネタバレを含みます)

 

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