手羽作文

備忘録と反省文を兼ねて書くブログ

マッチングアプリ備忘録

kaitensushitaro.hatenablog.com

↑前回の記事

マッチングアプリについて引き続き書いていこうと思うが、主だったことは前回書いてしまったので、今回は細かいことを徒然と書いていくことになる。

ブロックのこと

マッチングアプリでは日常的に「ブロック」が行われる。マッチングした後、主にメッセージのやり取りの最中にブロックされる。匿名な場所であるがゆえに割とカジュアルにそれは起こる。
ブロックされると、メッセージ画面で「このお相手は退会しました」と表示される。(本当に退会している時もごく稀にあるようだが)
この表示が「アプリ側の優しい嘘」だと知った時の衝撃は大きかった。私はこれまでの人生であからさまに誰かから「ブロック」されたことは無かった(はずだ)。しかしマッチングアプリは始めて数日でブロックされたのである。何かメッセージに粗相があったかと思い返してみるがそんなこともない(はずだ)。その日、私はショックで寝込んだ。
しかしどうやらマッチングアプリでは「なんとなく合わない」という理由でも簡単にブロックされるらしい。相手に恋人ができた可能性もあるし、単純にやり取りしている相手が多すぎて整理された可能性もある。ブロックまで行かずとも、返事が来なくなることは日常茶飯事だ。

マッチングアプリの優しい嘘

聞いてはいけない質問

ではなぜ、メッセージの返信が途絶えたりブロックされたりしたのだろうか?初期の私は1つの大きな間違いを犯していた。それは、すぐに「なぜ?」と聞いてしまっていたことである。

「なぜ」という質問は単純な1問1答の形式から外れており、答えるのが大変な質問形式だ。ましてや文字で打つとなると尚更。
例えば、「好きな漫画は何ですか?」これは答えやすい質問だ。「ONE PIECE」と返ってきたとする。しかしそこで、「なぜONE PIECEが好きなんですか?」と聞いてしまうと、もう返ってこない。理由は「返事をするのが面倒」からだ。
私は「なぜ」と聞くことで相手に対する興味を示したつもりだったし、そうすることで会話に深みが出て内容のあるものになると思っていた。しかし前の記事で書いた通り、相手側はまだ「まともな相手かどうか」を探っている段階だ。そこで「なぜ」などと質問されても負担になるだけなのである。「なぜONE PIECEが好きか」などメッセージ段階で全く必要ないやりとりだ。そんな話は会ってからすれば良い。これに気づいてから、メッセージでの返信率は上昇した。

 

新たな自分の欠落に気づく

アプリ内の人気のコミュニティに「カフェ巡り」というものがある。私はこの「カフェ巡り」という趣味がよく理解できなかった。私にとってカフェとは、仕事、読書、食事など「何かをする場所」である。カフェで本を読んでいるのなら趣味は「読書」であり、会話をしているのなら「おしゃべり」が趣味になるはずだ。
「カフェ巡り」をする人は、カフェで何をしているのだろうか。カフェを訪れて、しばらくぼーっとしたのちに、次のカフェへ移動し、またぼーっとするのだろうか…。しかしまた色々と知人にアンケートをとるうちに、「カフェ巡り」とは、「カフェという空間にいること」自体に価値を感じる人の属性なのだということがわかってきた。そう考えるとどうやら私には、他人と比較して「”空間”に対する愛着があまりない」ようなのである。全く無いわけではないが少ないのだ。
「美術館巡り」などもそうだ。私にとって美術館に行くか行かないかは「何が展示されているか」で判断されるべきことで、美術館に行くこと自体は目的ではない。しかし「美術館巡り」が趣味の人は、美術館という空間それ自体が好きなのである。
これは恋愛行動における私の大きな欠落と言えた。デートは「空間が好き」という理由で目的地が決まることが多く、共感ポイントも作りやすい。しかし私には何もないのである。
「好きな店」「好きな公園」「好きな街」何もない…!
なんとなく「晴れた日が好き」とか「緑の多い公園が好き」とかそういうのはあるがその程度である。
テレビ局で働いていた頃は非常階段で寝るのが好きだったが、非常階段が好きなのではなくブラック労働により睡眠不足だったのだ。
「僕、悲しいことがあった時はいつもこのベンチに座るんです」なんて言ってみたかったが、特にない。

 

まともであるということ

前の記事から繰り返してきたが、私のような30代のマッチングアプリ活動では「まともであること」が非常に重要な要素であると感じた。「まとも」の定義は様々あるだろうが、例えば

・敬語が使える
・定職についている
・酒に酔って制御不能にならない
・毎日風呂に入る

とかそういうことである。なんということだろう。恋愛を苦手とし、20代の間に長らく恋愛から遠ざかっていた私にとってこの変わりようは、にわかには信じ難いことであった。
なにしろ小学校の頃は「足が速いかどうか」が最も重要な要素だったのである。中学生になると「球技ができるやつ」に加えて「ちょっとチャラそうなやつ(垢抜けてるやつ)」がモテていた。受験期になり「勉強ができること」も少しは考慮されるようになったが、高校に入ると学校内の頭脳レベルは差がつかないため、やはり「スポーツができるやつ」「顔がかっこいいやつ」がモテていた。大学でも似たようなものだ。それがいつの間にか「まともかどうか」が最も重要な指標になっていたのである。
一体何がどうなったらそんな大転換が起こるのか。運動音痴で暗い人間でも「まとも」であればある程度は土俵に上がれるというこの現状は、私にとっては有り難いことではあったが、では幼少期から植え付けられ続けたこのコンプレックスは何だったのだろうか。

マッチングアプリのプロフィールにも「50m走のタイム」を登録する欄は無いのである。

私が学生時代に体験したり見たり聞いたりした様々な狂騒を、軽い徒労感と共に振り返る。希望を感じるような、理不尽に憤慨するような、複雑な気持ちだ。

 

そんなこんなで私のマッチングアプリ備忘録は終わる。こんな過疎ブログでも、何だか相手がいることは書きづらいもので、あまり具体的なエピソードには踏み込めなかった。とはいえ私のマッチングアプリ生活は何度かの休止期間を経て、無事に終わった。終わったということは、そういうことだ。

ありがとう、マッチングアプリ