手羽作文

備忘録と反省文を兼ねて書くブログ

ピザまん事件に関する論考

ピザまん事件」という非常に些細な出来事がある。
それはとある冬の日に起きた悲劇的な事件だったが、非常に些細であったにも関わらず、その後数年経った今でも物議を醸している。
私はその事件の当事者の1人であり、また語り部としてこの事件を風化させないためにも、この場で出来事の概要とそれに関する論考を記載しておこうと思う。

 

事件の概要

当時、私は付き合い始めてまだ日の浅い彼女と、焼肉屋へ行った。焼肉を美味しく食べ、その場の会計は私が持った。帰宅の途上にて、我々は「アイスか何か飲み物でも買うか」と話しセブンイレブンに立ち寄った。
すると店頭に「中華まん100円均一セール」とのポスターが掲示されていた。それを見た彼女は「ピザまん食べたくなってきた」と言った。私は「焼肉を食べたのだから食べる必要はないんじゃないか」と難色を示した。「やめなよ」くらいまでは言ったと思う。しかし彼女の決意は固く、私の制止を振り切ってピザまんを購入した。
セブンイレブンを出ると、私のテンションは下がっていた。結果として黙りがちになった。(見方によっては「機嫌が悪くなった」という表現も当てはまるだろう。ただし攻撃的な言葉を発したわけではない)
帰宅後、重苦しい空気の中、彼女はピザまんを食べた。

以上が事件の概要である。
私は当事者であるため、全く主観が入っていないとは言えないだろう。しかし大きな問題ではない。このエピソードを私から聞いた知人の8割が「お前がおかしい」と断罪してきたからである。私視点の語り口にも関わらず、私に不利な結果になったのだ。しかしこの話題はなぜか盛り上がるため、さまざまな場で「あのピザまんの話してくれよ」と促されるままに披露することになった。披露したところで私はバッシングされるだけなので得はないのだが、バッシングされ続けるうちに私の中でこの事件に対する考えが深まっていった事も確かである。私はなぜ、ピザまんを購入した彼女に対してテンションを下げてしまったのか。
それについて考察していきたいと思う。
あらかじめ断っておくが、私は共感を求めているわけではない。自己弁護をしたいわけでもない。ただ自分という面倒くさい人間を正確に把握し、記述することに、なぜか意義を感じているのである。

ピザまんは別腹と思えなかった

今回の事件に対する最も多いリアクションはピザまんなんて別腹じゃん!」ということだった。私はピザまんを「軽食」に近いものと認識していたが、どうも「おやつ」あるいは「締め」に近いものとして捉えている意見が多かった。
もちろん私も、昼飯が食べ足りない時などはピザまんで繋ぐことはある。しかし、満腹の時に追加でピザまんを食べたいと思ったことは今までなかった。別腹といえば、確かにアイスクリームは私も別腹であると認識している。満腹時でもアイスを食べたくなる気持ちは理解できる。
では「飲んだ後の締め」の代表例であるラーメンはどうだろうか。正直、個人の感覚としてはあまり理解できないが、一般的な習慣として受け入れている部分はある。とはいえラーメンに関しては酒を長時間にわたって飲む人が、小腹を空かせて食べているイメージがあり、今回は当てはまらない。彼女は下戸だし、焼肉を食べた直後なのだ。
ちなみにアイスとラーメンに共通しているのは「水分の多さ」である。食べやすく、咀嚼をそこまで必要としないイメージがある。翻ってピザまんはどうだろうか。ピザまんには水分はない。むしろ水分を奪う側である。私は「別腹」かそうでないかを、水分の多寡で判断しているのかもしれない。
ともかく、少なくとも当時の私はピザまんを別腹とは認識していなかった。それゆえに彼女が「ピザまん食べたい」と言い出した時にまず驚き、戸惑ったのである。なぜ彼女が、このタイミングでピザまんを食べたいのかが理解できなかった。

世の常だが、不理解は分断を生んでしまうのである。

 

「上書き」されることの寂しさ

ピザまんは別腹」という認識に立てばまた話は変わってくるが、当時の私にとってピザまんは「軽食」という認識だったため、ピザまんの購入により、焼肉後に彼女が改めて食事をとるつもりだと感じた。そこで「寂しい」という感情が生まれたのである。それは、2人で共有していた「焼肉が美味しかった」という感情が、少なくともあと数時間は共有できると感じていたにも関わらず、唐突に片方だけ上書きされたという喪失感によるものだった。
ピザまん後、私が「焼肉美味しかった」という感情を抱いていても、彼女の心境は「ピザまん美味しかった」という内容に更新されてしまう。そのズレが、置いて行かれたようでたまらなく寂しくなったのである。
例えば、カップルでディズニーランドに行ったあと、帰り道にたまたま通りがかった「浅草花やしき」に片方だけ遊びに行ったらどうだろうか。なぜ「浅草花やしき」で上書きするのか、と思わないだろうか。大袈裟にいえばそういうことだ。
さらにいえば、結構いい焼肉を食べたのに、わざわざ100円のピザまんで更新するのは損じゃないか、という気持ちもある。

ピザまんは美味しいよ。美味しいけど、でも今じゃないだろう」と思ったのだ。

 

「奢ったこと」の影響

私に対する主なバッシングの1つに「焼肉を奢ったからうるさく言ってるんだろう」「そんなにゴチャゴチャ言われるなら奢ってもらいたくない」「心の狭い男だ」などという、金銭的な状況に原因を求めるものがある。確かに私も「奢ったからといって偉そうにする奴」は嫌いだ。
とはいえ、今回の件に関して私は「奢ったことは関係ない」とまで言うつもりはない。綺麗事を言っても正確な論考にはならない。
ただし、私は「奢る」という行為には、大きく分けて3つの型があると思っている。

 

①純粋な余裕や気前の良さによるもの

EX)ギャンブルで大勝したので奢る

②上下関係や「行為に対するお礼」など利害関係をベースにしたもの

EX)先輩なので奢る

③親愛の気持ちの表現

EX)初任給が出たので両親に奢る

 

全て明確に分類できるものでもないと思うが、この3つをごちゃごちゃにして考えるのも良くない。今回の件に関していえば③がメインなのである。これを①や②と同列で捉えられてしまうのは辛い。③の特徴は気持ちが乗っていることだ。気持ちを乗せてしまうと、それが「上手く届いていない」という結果になった時、落ち込むものである。
もちろん「勝手に気持ち乗せてんじゃねえよ」という批判はあると思うのだが、付き合っているのだから、気持ちが乗ること自体はいいじゃないかと思うのである。ピザまん発注時、私は「彼女は焼肉でお腹いっぱいになっていなかった」という事実に狼狽し、「それなら焼肉屋でもう1品頼んでくれればよかったのに」と思ったのだ。

まあ、色々書いても結局私の「不寛容」が原因なのだが、それは後述する。

 

マーケティング戦略への対抗心

これは全く別角度からの話だが、私は「本当は必要なかったものを、安いからといって買う」行為が嫌いなのである。「もう1つ買えば送料無料だから(必要ないけど)買う」なども同様だ。これは個人的な好き嫌いの話なのでそれ以上でも以下でもない。
もし仮に今回の事件が、最初から「どうにもピザまんを食べたいのでセブンイレブンに行く」という目的のもと発生したものであればここまでテンションが下がっていない。彼女は、セブンイレブンに到着してから、「中華まん100円均一」のポスターを発見し、そして初めて「せっかく安いならピザまん食べたい」と発言した。セブンイレブンマーケティング戦略にまんまとハマったのである。「100円均一」というとやたら安いように感じるが、実際安くなっているのは数十円程度で、そもそも食べなければその100円すら出費することはない。だが彼女はポスターを見て催眠術にかかったかのように「ピザまん食べたい」と言い出したのである。悪い魔女の罠に嵌るが如くだ。
「それこそがセブンイレブンの狙いなのだ、騙されてはいけない!」と私は叫びたかった。(現実には「やめときなよぉ」くらいしか言ってない)しかし、私の心の叫びは届くことはなく、彼女はレジに向かってしまった。

結果として、私を深い絶望が襲った。

 

好きゆえの不寛容

とある反応の1つに「彼女のことをまだそんなに好きじゃなかったからそういう些細なことが気になったんだろう」というものがあった。これは明確に否定したい。確かに「好きであればもっと寛容でいられるはずだ」という見方が当てはまる場面もあると思うが、全く逆のこと「好きであるからこそ不寛容になってしまう」という場面も、人間にはいくらでもあるはずだ。
例えば、これが彼女でなく友達だったら、別にピザまんを食おうが、からあげクンを食おうが気にならないと思う。良くも悪くもどうでもいいからだ。
もちろん「ピザまんすら許容できない」不寛容さが未熟さによるものであることは否定できない。「自分が好きな相手は自分が嫌だと思うことを一切しないで欲しい」という考え方は独善的で非現実的なので、褒められたものではない。

結局のところ「(恋愛経験値が低すぎて)余裕がなくキモい」ということなのだが、好きゆえの不寛容なのである。

 

ここまで幾つかの見出しに分けて「ピザまん事件」における私の心の動きを論考してきた。数多のバッシングを受けて私も少しは自分のおかしさに自覚的になり、以前よりは寛容さを身につけることができたのではないかと思う。
しかし「寛容であること」自体は永遠のテーマだ。きっとこれからも様々な問題に直面するだろう。その都度、この「ピザまん事件」をケーススタディとして、自分の中で参照したい。
なお、この話を話題に出す際は、

・「焼肉」でなく「手作りの料理」だったらどうか

・「焼肉」ではなく「ピザ」だったらどうか

・相手が彼女ではなく「友達以上恋人未満」だったらどうか

・偉い人が奢ってくれた会食後だったらどうか

・彼女が焼肉屋でちょっと残していたらどうか

などシチュエーションを色々変えると「それは許せない」「それは許せる」などと人によって寛容さのラインが見えて面白いので、本当に話すことが無い飲み会等でやってみてください。