手羽作文

備忘録と反省文を兼ねて書くブログ

マッチングアプリの話(序章)

今時珍しいことでもないが、数年前にマッチングアプリを真剣にやっていた時期がある。

30歳を超えて、なんだか今のうちに恋愛と真剣に向き合っておかないといけないような気がしたのである。学生時代はそれなりに悩み、恋愛と向き合っていた感覚もあったが、就職してからは仕事で必死だったので(とは言い訳だが)恋愛というものをなるべく見ないようにして生きてきた。「第二新卒」のような言い方をすれば、社会人になってからの私は「第二童貞」だったと言える。

そう考えると結局のところ「童貞」というのは、単純な経験の有無ではなく精神性の問題だ。恋愛という”理不尽”に対する対応力がある一定レベル以下の状態を「童貞」と呼ぶべきなのだ。そう考えると今でも私は童貞なのかもしれない。ただし、マッチングアプリをやることによって”童貞度”が薄まったことは確かである。

今となっては「童貞」という言葉を気軽に使えるし何なら愛着すら感じられるが、この言葉にはずっと苦しめられてきた。少なくとも15年前の大学生にとっては「童貞か童貞でないか」というのは死活問題であり、「童貞である限り永久にちょっとバカにされる」という呪いが蔓延していた。今となっては18~22歳の若者たちがそんなことでマウントを取り合っているのを微笑ましく感じるが、当時の私にとっては全く死活問題で、「童貞」という言葉は「生きづらさ」とほぼ同義であった。いつか童貞でなくなった瞬間に私の精神レベルは一気に上昇し、視界はクリアになり、溌剌とした自分が、脱皮する爬虫類のようにして現れるのではないかと夢見ていた。

その後色々あって「童貞」という(表面上の)定義からは脱することに成功した時、私は自分の内面がほぼ何も変わっていないことに気づき衝撃を受けた。童貞でなくなった次の瞬間から、私の人生は勝手に1段階レベルアップすると思っていたのだが、そんなことは無かったのである。私は虚無感を抱えたまま1人で「はなまるうどん」に行き「おろししょうゆうどん(大)」をただひたすらに食った。天ぷらなどのトッピングは無しであった。大学生とはいえ当時の「おろししょうゆうどん(大)」は気軽に食べられる量ではなかったが、何か自分に「大量のうどん」という衝撃を与えることで童貞喪失に伴う衝撃を上書きしようとしていたのかもしれない。

安くて美味しく、(大)はかなり量が多い  ※公式HPより

思い出話が過ぎた。

結局それから就職し、ブラックな働き方も相まって私の「第二童貞」としての年月は過ぎていった。30歳を過ぎても仕事で必死なのは変わらなかったが、かつてのような五里霧中な状況ではなく、少しは力の抜きどころもわかってきたところだ。30代後半になれば、はっきりと「おじさん」というカテゴリに足を踏み入れることになる。そうなってからの恋愛にも良さがあるのだろうが、とりあえずギリギリ若者というカテゴリに属している間に、もう1度”恋愛”と向き合うべきではないかと唐突に思い立ったのである。

マッチングアプリについて書こうと思ったが、思いがけず童貞論で文字数を食ってしまったために、この記事は一旦ここで終わることにする。

 

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kaitensushitaro.hatenablog.com

恐怖の電車

恐怖の電車

電車で隣に座る男が、もう10分も、あまりにも堂々と鼻をほじっている。しかも口まで開けている。向かいの窓に映っているので丸わかりなのだ。
鼻をほじっているという行為それ自体も嫌なのだが、ある程度混んだ電車内でそれをためらいなく続けられる精神性がとにかく怖い。
しかし、10分かかっても取り出せない鼻くそとは何なんだろうか。

 

座右の銘

映画を作り始めてから4年、座右の銘が完全に「捨てる神あれば拾う神あり」になりつつある。
以前は「成せば成る」だったのだが……まあつまり、歳をとったということなんだろう。

 

ダイエット

30歳を超えてどんどん太ってしまったため「痩せなきゃ」と思っていたが、なかなか難しい。最近は「食わなきゃやってらんないよ」と思うことが8割、「こんな日くらい食ってもいいだろう」と思うことが2割だ。毎日たらふく食っている

 

例のやつ

今日生まれてはじめて、ラーメン屋の空調が強すぎて顔に胡椒がかかり、くしゃみをしてしまった。
「これかぁ」と思った。
次はバナナの皮を踏んで転ぶことに挑戦したい。

 

趣味

「趣味みたいなもんです」とは謙遜のように使う言葉だが、趣味というものは偉大である。「趣味」である以上、常に「楽しいか」「内的衝動を伴っているか」が問われる。逆に、結果は問われない。
ものすごく大事なことだ。

人類史の最先端

情報量の少ない歌

広く浅くいろんなJ-POPを聞いて育ってきた。傾向として、文字数がぎゅうぎゅうに詰め込まれた早口の歌が好きだ。ラップとは少し違って、一見普通のメロディーに歌詞が詰め込まれているやつだ。
例えば高橋優の「陽はまた昇る」なんかとても好きだ。

youtu.be

しかしそれとは逆に、内容が少ない歌も好きだ。文字数の割に情報量の少ない歌。例えばレミオロメンの「Wonderful & Beautiful」という歌で、

都会は溢れて 田舎は足りない それとも逆か 似たようなものか

という歌詞がある。つい「結論出してから喋れ!」とツッコミを入れたくなるが、この、もったりとした感じが良い。
また最近、久々にE-girlsの「Anniversary!!」という曲を久々に聴いている。2番の歌詞に

夜になったら砂漠に ナミダが出るくらい綺麗な星が降る

というのがあるのだが、実際は合いの手が入る。

夜になったら砂漠に  ウワウワウー (ウーワッウワウワッ)
ナミダが出るほど綺麗な星が降る (フールッフルフルッ)

半分は合いの手なのである。
特徴的なことに「ウワウワウー」の部分はメインボーカルが歌っているので、「夜になったら砂漠にウワウワウー」という歌詞のように聞こえ一瞬混乱するのだが、これがクセになる。夜の砂漠に突如として「ウワウワウー」という怪物が現れるかのようだ。

youtu.be

 

人類史の最先端

ファミレスの猫型ロボットと通路ですれ違うときに自分から避けてしまう私のような人間は、確実に人類史の最先端にいると言えるのではないか。

 

苦手な語尾

完全に個人の感想だが、「〜なのです」という語尾の文章がちょっと苦手。
なんか感傷に浸りすぎているような気がするのです。

伝説の誕生

言い間違えの奇跡

言い間違いの多い友人が、「すぱじろう」という店の名前を「スパたろう」と言い間違えていたので、「また言い間違えてる…」と思いながら見ていたら、最後には「パスたろう」と言っていた。
元々が「スパゲティ」のもじりなのに、少しずつ言い間違えているうちにいつの間にか「パスタ」のもじりになっていたのだ。
彼の脳内はどうなっているのだろうか。
漢字で書くなら「パスタ楼」だろうか。

 

替え歌

天国じゃなくても
楽園じゃなくても
あなたに会えた幸せ感じて
横になりたい

 

伝説の誕生

腰痛改善のため「カリスマ整体師みたいな感じのとこに通ってる」と友人に冗談めかして語ってから1年後、久々にその話題になったとき「まだ伝説の按摩師のとこ通ってるの?」と聞かれた。
尾ひれがつくどころの騒ぎじゃねえ。

 

スーパー銭湯にて

岩盤浴着を着た一人の男が、「すみません、今日、どうしても都合が悪くなってしまって…」と電話している。
人生だなあ、と思った。

 

伏線回収

最初からから決まっていた設定を、序盤でちょっと見せて、そのあと終盤でしっかり説明することを「伏線」と言うのだろうか?
なんか違う気もする。

スカイダイビングに行った話

2020年の3月、人生初のスカイダイビングに行った時の話だ。
その1ヶ月半ほど前、仕事、仕事に明け暮れる日々に辟易とし、どんどん猫背になっていく私を見たバイトの大学生のKくんが、私にこんな本を貸してくれたのだった。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07M894P9Z/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

かつて仕事に明け暮れていたサイバーの藤田社長が、遊び大好きなヒロミのコーディネートで船とかキャンプとかの「遊び方」を覚え、さらに飛躍していったということが書かれている。読みやすい本だ。なるほど、私の人生には遊びが足りないのか。しかも、カラオケとかボウリングとか、そういう街中の娯楽ではなく、移動を伴う大規模な大人の遊びだ。

そこで私はスカイダイビングに行くことにした。
別に何か特別な理由はないが、前々から「一生に一度はやったほうがいいんじゃないか」と思っていたのだ。どこか鳥に憧れる気持でもあったのだろうか、あの落ちていく感じがすごい気持ちがいいんじゃないかという気がしていた。アニメ映画の「千と千尋の神隠し」や「天気の子」でも、空から落ちていくシーンはとても綺麗で、ドラマチックなのである。

さらに、大げさな話だが、脚本などを書いていて、「生きる」ということについて考えることも多い。だが、「生」について考えるということは「死」について考えることでもある。ところが、「死」というものは(有難いことに)あまり身近ではなかったりするので、スカイダイビングをすることで、そういった感覚に近づけるのではないかと思ったのである。折しもその頃、100日目でワニが死んでしまった。そんなこともあり、タイムリーな感じでスカイダイビングを予約したのである。

上空3800mから飛び降りれる場所が、埼玉にあるという。ノリのいいKくんもついて来てくれることになった。当日、私たちは春の訪れを感じさせる埼玉の野原にやってきた。風はやや強いが、晴れのち曇りという、それなりに良い天候である。受付で「死んだり怪我しても文句言わない」という趣旨の誓約書にサインすると、いよいよダイビングの順番が回ってくる。レンタルされる靴と、専用のつなぎに着替え、ハーネス的なものを取り付けられていく。

うららかな春の日のスカイダイビング場

ちなみに、当然我々には1人ずつトレーナー的な人がついていて、その人と一緒にダイビングするのだが、彼らは「タンデムマスター」と呼ばれている。マスターという名前がやたら頼もしい。他にマスターといえば「ジェダイマスター」と「ポケモンマスター」しか思い浮かばない。タンデムマスターに話を聞いてみると、元々はサラリーマンだったが、スカイダイビングの魅力に取り憑かれ、脱サラしてタンデムマスターになった人が多いという。実はライセンスを取る場所が国内は無く、海外に行って取らなければならないというプチ情報もゲットした。
やたら質問をする私にタンデムマスターが「もしかしてタンデムマスターになりたいんですか?」と聞いてきたので、「いや、別になりたくないです」とも言えず、「あ、まあ、今日やってみて楽しかったらもしかしたら…」などとお茶を濁す

我々のような一般客の他にも、大学教授をしながら趣味でスカイダイビングをやっているという人もいた。(この人は我々と違い、1人で飛ぶようだ)やはり藤田社長の言うとおり、一流の人間は遊びも一流なんだなあ。大学教授を見て確認する私だ。

事前にダイビング中の注意点のレクチャーを受けた。

アゴは上げて下を見ない

・落ちてる時は両手を広げ、身体はエビ反り

・着地の時は地面にぶつけないよう足を抱えて上にあげる

ちなみに、私が申し込んだプランはタンデムマスターが腕時計のような小さなカメラで色々と撮ってくれる、というもので、オプション料金がかかるのだが、せっかくの体験を記録してみたかったので申し込んだ。私についてくれたマスターはいい人なのだが、比較的ぶっきらぼうな人で、出発前に突然私にカメラを向け、「何か一言」と問いかけてきた。

「何か一言」はインタビューの際できるだけ避けるべき質問だが、彼にディレクターとしての実力を求めるのは間違っている。ざっくりした質問にテンパった私は「着地の時は足を上げるのを忘れないようにしたいです」と答え、タンデムマスターは「はい」と言ってカメラをOFFにした。

非常につまらない事前VTRが収録されてしまった!

こんな感じでみんな降りてくる

そんなこんなでついに離陸である。今回乗るセスナはMAX19人乗りで、椅子はなく、皆、体育座りで乗り込む。既にタンデムマスターとガチガチに連結されている。離陸直前にパイロットが乗客全員に「上空のコンディションがあんまり良くないので、MAXまでは上がりません。嫌なら降りてください」と告げた。「上空のコンディション悪いんだ…」という不安と、「このタイミングで降りるなんて言えねえよ」というツッコミが脳裏をよぎる。(多分、我々タンデム班ではなく、教授とかに言ってるんだと思うけど)
そしてセスナは離陸した。
MAXではないとはいえ、3000mはゆうに超えている、もう十分だ。高すぎる。上空に来て初めて、この高さから落ちるのはめっちゃ怖いということに気がついた。ところがもう途中下車は許されない。というより、下車するしかないのである。実は私が乗り込んだのはタンデム班の中で最後だったため、当たり前だが、落ちるのは最初だった。

落ちる直前の様子

へりまで来て下を見た瞬間、恐怖で思考が停止する。絶望的な状況だ。だが、足がすくんでるような暇はない。なぜなら、タンデムマスターが容赦なく飛び降りるので、それに繋がってる私も自動的に落ちるしかないからだ。
なんということだろう、上空に飛び出した瞬間、「あ、死んだ」と思った。身体が空中に放り出される不安とはこれほどのものだったのか。そして、顔にかかる空気圧で息が吸えない…!アニメ映画のように美しく落下していくイメージは秒速で崩壊し、後に記録されていた映像には、頬の肉を全て空気圧に持っていかれる男が写っていた。

落下中の私

今回、「死を感じる」という崇高なテーマを事前に掲げていたのだが、実際にそこにあったのは「あああああああああああ!!!!死ぬぅ〜!!!!!!いやだああああああああ!」という、むき出しの感情だけであった。「これが、死……」などという冷静な思考は無く、頭の中には「落ちるううううううう!嫌だあああああああ!」という叫びが充満するのみである。
事前レクチャーの言いつけを守り、手を広げるのが精一杯だ。

どれくらいの時間が経っただろうか。何分間も落ちていた気がするが、実際には数十秒だろう。半分くらい落ちたところで、タンデムマスターがパラシュートを開いた。速度がガクンと落ちる。そういえば、事前に、パラシュートが開く時の衝撃でぎっくり腰になったらどうしよう、と考えていたが、幸いにして腰は大丈夫だった。空中ぎっくり腰、回避である。

だが、パラシュートが開けば安息があるのかと思いきやそうでもない。結構グルングルンと回るし速度も変わるので、いわゆる「フワーッ」という感じではない。「下を見すぎると酔うよ」とマスターが言ったが、その時既に私は酔っていた。

事前の言いつけを守り、私は必死で両手を広げていたのだが、パラシュートが開いたらもうやめてもいいらしい。ちょっと恥ずかしい。マスターが、ハーネスを少しずつ緩めたりして着陸のための準備をし始めたのだが、いつまでも広げられている私の手が邪魔だったようだ。左のハーネスに手をかけろ、という意味でマスターが「左見てください」と言ったのだが、酔った上にテンパった私はガッツリ逆方向の右を向いてしまい、「左!!」と鋭く怒られた。落下中に怒られることなんて、今後の人生でもそうないだろう。

さらにマスターから「着陸の時に足を抱え上げる練習します」との宣言が。まさか空中で練習するとは聞いていない。練習があるなら地上で落ち着いてやっておきたかったがそんなこと言う余裕もない。言われた通りに足を上げてみるが「全然足りない!もっと全力で!怪我しますよ!」と2度目の空中怒られ。
どうやらマスターは私が手を抜いていると思っているようだが、そうではなく、単純に私は体がめちゃくちゃ硬いのである。いつものことだが、私の運動能力の低さは、大抵のコーチの想像を超えている。とはいえマスターにも安全管理の責任があるのだろう。「もう1回!足上げて!せーの!」などと、いよいよ指導に熱が入っていく。

落下しながら必死で足を上げる練習をする私…

もはや空中散歩の楽しさ、あるいは落下の恐怖なども一切なく、私はひたすら「怒られたくない」という一心で、壊れたおもちゃのように足を上げ下げすることになった。足だけでは全然上がらないので、腕で無理やり持ち上げるしかない。だが、いよいよ地面が近づいてきた時、足を抱え上げる練習をしすぎて、段々と腕に力が入らなくなってきているではないか。本末転倒とはこのことだ。最後の死力を振り絞り足を持ち上げ、なんとか着陸成功。
ああ、死なずに済んだ…!

すると、息も絶え絶えの私にいつの間にかタンデムマスターがカメラを向けていた。

マスター「どうでしたか?」

私「むちゃくちゃ怖かったです」

マスター「またやりたいですか?」

私「……1回、家に帰って考えます」

マスター「はい」

またもや超絶つまらないVTRが収録されてしまった!

マスターも、私が将来タンデムマスターになることは無いと確信しただろう。そんなこんなで私の人生初の空中散歩は、前半は死の恐怖に支配され、後半は怒られまくるという結果で終わった。
怒られたことに戸惑いはあるが、マスターだって、命を預かっているのだから仕方なく怒っているのである。私は鈍臭いので、大抵この手のアクティビティでは怒られがちだが、今回も例外ではなかったようだ。まあ、すんごい楽しかったわけではないが、本来の目的は達成できたと言える。死の恐怖を身近に感じることができたし、空中で怒られるという非日常によって「地上で怒られた方がまだマシ」という新しい発見を得られたからだ。
大地は本当にありがたいよ。今なら心を込めて「大地讃頌」を歌える。中学の卒業式で歌わされた時は意味わかんなすぎて嫌だったが、今なら泣きながら歌える。

落下後、大地を賛頌する私

ちなみに、私の後に降りてきたKくんに感想を聞いたら、「最高です!天使になったみたいでした!」と言っていた。人によって感想が真逆なのである。やってみないと向き不向きがわからないのだから、やはり一度はやるべき体験なのだろう。
ちなみに私はこの日以来、高所恐怖症になった。