ぎっくり腰でついに救急車で運ばれた話(前編)
この話は記録しておかなければならない。ついに救急車で運ばれてしまった。原因は、長年の宿敵・腰痛である。急性腰痛症、俗にいうぎっくり腰だ。
うだるような8月の朝、目を覚ました私は自分が立てなくなっていることに気づいた。正確には、立とうとすると腰に衝撃的な激痛が走るのだった。ぎっくり腰4回目の私でも、今まで体験したことのないレベルの痛みだ。その痛みは腰の範疇を超え、上半身を硬直させるほどだった。
一番近い感覚は感電だろうか。昔、AD時代にバラエティの感電罰ゲームのシミュレーションを体験したことを思い出した。あれに激痛が追加されている。
何かの夢かもしれない。
一旦起き上がるのを諦めて、しばらく寝てみた。起き上がろうとする。激痛。やはり激痛である。腹筋運動のようにストレートに起き上がることは不可能。そんな時は、一旦ハイハイからの徐々に起立がセオリーだ。いわゆる、腰痛持ちの奥義、「人類の進化」である。だが、人類の進化も激痛に阻まれた。進化失敗、人類は未だサル未満である。
結論:これは通常の腰痛ではない。
既に1時間が経過していた。
度重なる激痛に、精神も疲弊していく。このままでは、永久にここに横たわっていることになる。ブッダか。わしゃ桜の木の下のブッダか。悟りとは程遠い心境で考えた。木曜日である。休日ならもうしばらく様子を見ても良いが、そういうわけにもいかない。夜には外せない打ち合わせもある。枕元のお守り代わりのロキソニンも飲んでみたが効果がない。
救急車しかないだろうか……?
腰以外は完璧に健康体の私だ。果たして救急車を呼ぶに値する症状なのだろうか。救急車って、もっと、こう、救急の人が運ばれるべきなんじゃ……
しばしの葛藤。しかし、葛藤していても仕方ない。そこで私は、スマホで調べ、東京都の救急相談センターに電話してみることにした。
まさかの音声ガイダンスだった。自分で作った映画を自分で体験する日がくるとは……
流石に映画ほどのガイダンスのボリュームはなく、2回のプッシュで担当の看護師さんにつながった。症状を説明する。
「救急車ですね」
あっさり結論が出た。こうして私は人生初の救急搬送が決定してしまったのだ。看護師さんに住所を伝える。
「鍵、開けられますか?」
「ちょっと分かりませんが、頑張ります。もし、開けられなかったら…」
「壊すしかありませんね」
それだけは避けたい。
ぎっくり腰で救急搬送だけでも恥ずかしいのに、ドアまで壊されて突入された日にはたまらない。「分かりました」と言って電話を切った。是が非でも鍵を開けなければならない。できるだろうか、ハイハイすらできなかった私に……
私は意を決して再び人類の進化を試みた。慎重に……先ずは足を折りたたんで、スライドさせて……。なんと、できてしまった。意外とあっさり、ハイハイの体勢までできてしまった。もしかして、ロキソニンが今更効いてきたのだろうか。これはこれで困る。このタイミングで症状が軽くなるのも困る。もはや救急車は来るのだ。私は救急搬送にふさわしい病人でなければならない。あるいは、救急車が来るという安心感が私にプラシーボ効果をもたらしたのだろうか。
余計なことを考えていても仕方がない。
ハイハイのまま、玄関まで向かう。だが、やや回復したと思ったのもつかの間、途中、何度か例の激痛に襲われ、活動停止する私。乗りたてのエヴァより頻繁に活動停止する私だ。その度にくじけそうになる。いつも何気なく開け閉めしていたドアがなんと遠いことだろうか。
このワンルームの部屋がサハラ砂漠のように感じられる。豪邸に住んでいなかったことに感謝しなければならない。年相応のささやかな暮らしに合掌だ。玄関とキッチンが完全に同じ場所にあるという謎の間取りに感謝だ。ついに鍵を開け、そしてまた布団まで戻る。その歩み、リクガメの如し。亀って偉いよな。このスピード感で万年も生きるのに気が狂わないんだもん。
そうして私が再び横たわった頃、遠くから救急車のサイレンが近づいてきた。今までの人生で、何度この音を聞いたことだろう。だが、今までと決定的に違うのは、この音が、私を目指して近づいてきているということだ。
当の私だけが、それを知っている。
天井が、いつもより高く感じた。
なりました。
白桃
人間が人工的に作り出す香料の中で一番レベルが高いのは「白桃」だと思う。最近はいよいよ、皮と果肉の境目の微妙な甘酸っぱさまで再現してないだろうか。ここまできたら、そろそろ実物の桃も作れるのではないだろうか。
白桃香料開発の人よ。あなたは香り界に収まらない実力の持ち主なのだ。自信を持って羽ばたいて欲しい。
痩せたて
銭湯で、まだ若いのに身体中の皮がダルダルな、「最近、急激に痩せたっぽい人」を見てしまった。
テンション上がった。
舵をとれ
カラオケに、長渕剛の「captain of the ship」のショートバージョンというのがあったので歌ってみた。11分の曲が6分になっていた。
きっとカラオケ製作者なりに、舵を取ったのだ。
狂ったAI
PCの変換機能が最近おかしくなり、「ヨネオカ」と打つと勝手に「むらい」に変換するという暴挙に出始めた。誰なんだ、村井って…。米岡とどういう関係なんだ。
なりました。
カップルが成立した時、はにかみながら「私たち、付き合うことになりました…(照)」と報告する輩がいる。私のような屁理屈人間には「なりました」の意味が分からない。「なりました」ってまるで不可抗力で決まったような言い草だが、どっちかが告白してどっちかがOKしたんだろう!?それは自由意志なんだから正しくは「付き合うことにしました」だろう!何を照れ隠しに「なりました」を使うなバカ野郎!
「今年で30歳になりました」「すっかり秋になりました」「私は有罪になりました」「社長の一存でA案になりました」「やっぱり気が変わってB案になりました」などの不可抗力な現象とは別物なのである。気をつけて欲しい。
こういうこと言えば言うほどモテない。
親切の成立
親切の成立
電車でぼーっとスマホを見ていた。目的の駅は次だ。あと数分で降りるというところで、目の前に赤ちゃんを抱えたお母さんが立っていた。
私は、一瞬迷った。
あと数分でどちらにせよ席を立つ。あえて譲って善人ヅラするのもどうなんだろう。だが、この場合の最悪のケースとしては、私の隣に座っている50代くらいのおばさんが、私より先に席を譲ってしまうことだ。“子連れに席を譲らないどころかおばさんに席を譲らせて知らんふりの大バカ極悪男性”になってしまう。
それは避けたい。
私は席を立った。すると、お母さんは「大丈夫です。次で降りるので」と言うではないか。席を譲りに行って断られることほど恥ずかしいことはない。親切と遠慮の間に発生する真空ポケットに落ちると、気まずい上に容易には抜け出せないのだ。(これが、いつも私が席を譲る前に一瞬迷ってしまう理由だ)
だがもう後には引けない。
私はとっさに「僕も次降りるので」と言った。だから何だ、という発言だ。だが、私の鬼気迫る顔に気圧されたのか、お母さんは「じゃあ…」と言って、空いた席に、近くにいたもう1人の子供(幼稚園児くらい)をそこに座らせた。
何とかギリギリ成立した私の親切だったが、数分後、電車は駅に到着し、私、お母さん、その子供達は皆、ぞろぞろと降りたのだった。
あの時間は何だったのだろう。
署名
最近多いのだが、携帯の契約の時などに、タブレットに電子ペンみたいなやつで署名するやつ。幼稚園児かっていうくらいものすごく下手な字になるのだが、あれ意味あるのだろうか。
あとで「これ、あなたの字ですよね?」と言われても何とも言えない。
しみじみ
水野晴郎のように「いやあ、組織って本当に恐ろしいもんですね」と言ってみる。
少しは和むだろうか
絶叫
スマホの音量設定をマックスにしていたことを忘れて、そのまま適当に音楽を再生してしまった。鼓膜に「ヌォオオオムオァアアクラアアアアアイ!!!」と絶叫が突き刺さる。
D51の「NO MORE CRY」だった。
泣くわ、こんなもん。
たぬき
難所
私はいつもカラオケでキーを−6に設定するくらい高い声の出ない人間だ。逆に低い声なら大抵出る。そんな私でも、かなり集中しないと歌えない、地を這うようなフレーズがある。
それは、19の「あの紙ヒコーキ曇り空わって」の「“大丈夫さ?裏切られることはもう慣れてるから…”」の「から…」の部分だ。この「から…」はかなり低い。「から…」と言おうとしてただの唸り声になっている時もあるほどだ。
そのあとサビの「夢を描いたテストの裏~」で一気に高くなるため、安易にキーも上げられない。
古民家カフェ
以前住んでいた家の近所に、日当たりが悪くて居心地の悪い古民家カフェがあった。
古民家カフェが、居心地悪くちゃおしまいだ。
福山ファン
半年に1度くらい、深夜1時過ぎに、マンションの隣の部屋から大音量で、福山雅治メドレーが聞こえてくる。「家族になろうよ」「最愛」などのバラードBESTだ。迷惑だし、怖いのだが、選曲を見ると悪人とも言い切れない。
たぬき
30歳の夏。冷やしたぬきそばの美味さをしみじみと理解する。昔は、この良さを理解できなかった。天かすに価値などないと思っていた。だが今なら分かる。冷やしたぬきそばは、優しい。かき揚げのように尖らず、きつねのような濃さもない。ただ、サクサクするだけだ。サクサクサクサク…気づいたら、どこかへ消えている。
冷やしたぬきそばを食べているおじさんを見かけたら、優しくしてあげよう。
言い方
「腰が痛い」と言っていても仕方ないので、表現を変えて「腰が泣いてらあ」と言ってみたらどうだろう。少しは何かが変わるだろうか。
カラオケ
1人でカラオケに行き、カントリーロードを歌って、しかも高得点を出してしまった。
疲れてるのだろうか。
新時代の神
新時代の神
YouTubeの仕事をしていると、再生数が思ったように上がらず苦境に陥ることも多い。動画の内容は申し分ない。サムネもタイトルも練りきった。それでも、再生数がなかなか上がらない時、どうするか?
祈るしかない。
何に祈るのか?
人智を超えた、何か巨大なものを前にした時、人間は自然と祈る。古くは天候や大自然、そしてそれらを司る神々だろう。だが、私にとってそれはYouTubeのアルゴリズムだ。今やYouTubeのアルゴリズムの動きを正確に予測できる人間は世界中どこにもいない。だが、アルゴリズムの動き一つで動画の再生回数は何倍にも変わる。それで金が、人生が動く。祈るしかない。
アルゴリズムは新時代の神なのだろうか。
ハンバーガーの成分
特に好物でもないのだが、ハンバーガーというのは、単に「ハンバーグをパンで挟んだもの」とは言い切れない魅力がある気がする。例えば、サンドイッチは、パンと具材を分けてもさほど違いはないと思う。カツ丼なども、カツ煮と白飯に分けても美味さは損なわれない。だが、ハンバーグをそれぞれの具材に分けたら、その魅力の半分以上は損なわれるのではないか。(ハンバーガーの肉は、単独で見ると非常にみすぼらしいが、挟んでしまえば主役である)
一体何が彼らをハンバーガーに仕立てるのだろうか。
アメリカンドリームだろうか。
涼宮ハルヒの影響
アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」を今更ながら観始めた。まだ序盤なのでなんとも言えないが、この語り口や展開には既視感があった。なぜだろうと考えてみると、大学時代、学生演劇の舞台で似たようなものをたくさん観たからだ。天真爛漫な美少女に、理屈っぽいが押しに弱く、不自然に語り口が文語調の男子が、なぜか気に入られ振り回される、という定型だ。
そうか、あの頃量産されていた奇妙な学生演劇は、みんなハルヒの影響を受けていたのか。
ラブストーリーの仕組み
地味で取り柄のない主人公が、ハイクオリティな異性に「なぜか」気に入られる、という展開は、少女漫画含め、古今東西のラブストーリーの王道である。なぜ気に入られるのか、理由はない。
でもそれでいいんだろうな。受け手はその余白に自分を当てはめることができる。
特等席
実写版「アラジン」を、満席の日曜の映画館だというのに、信じられない良い席で見た。たまたま、中段、スクリーンの正面が空いていたのだ。
なぜか?
それは、皆カップルで観に来ているからだ。両側からカップルが埋めていった結果、ポケットのように空く1席があるのである。
私はそれを「孤高の特等席」と呼びたい。
なるべく格好良く呼ぶことで色々紛らわしたい。