ぎっくり腰でついに救急車で運ばれた話(後編)
kaitensushitaro.hatenablog.com
この、前後編に分けるほどでもない話も、ついに後編に突入した。いよいよ我が家に救急車がやってくる。だがその前に、ぎっくり腰になった経緯を記しておかねばならない。
史上最強のぎっくり腰に見舞われ、ついに救急車を呼ぶことになってしまった私。だが、そこには腰の痛みだけにとどまらない、精神的ダメージがあった。私は、一昨年あたりから、年に1度のペースでぎっくり腰になってきた。この時点で異常だが、私も何も対策を取らなかったわけではない。特に今年の2月に発症してからは、対策に本腰を入れ、
・整体
・就寝前・起床後のストレッチ
・腰痛軽減マットレス
という4本の柱で腰痛に立ち向かってきた。かつてない熱量と予算をかけて、腰痛の再発防止に努めてきたのである。その結果が、今回の激痛であった。まさかの、対策を始めた半年後に、史上最速、最悪のぎっくり腰が襲来したのである。私のこの半年の努力をあざ笑うかのように、容赦無く腰の爆弾は爆発した。
しかも全く予兆はなかった。強いて言えば、前日の朝、くしゃみを立て続けにした。だがその時は何ともなく、数時間後から、腰に違和感を感じるようになった。そこで早めに就寝したのである。
起きたら、立てなくなっていた。
重いものを持ち上げようとしたとか、ずっと立ちっぱなしだったとか、そういったわかりやすいきっかけはない。心当たりといえば数時間前のくしゃみしかない。しかし、くしゃみ直後ならまだしも、数時間後に腰が壊れるだろうか?バタフライエフェクト的なこと?
近づいて来る救急車のサイレンを聞きながら、私は「どうしてこんなことに……」と思わずにはいられなかった。そして、鳴るチャイム。当然出ることはできない。声を出して「どうぞ」と言う。入ってきた4人の救急隊員が見たのは、マットレスに横たわる、半袖ハーフパンツの30男であった。お世辞にも整頓されているとはいえないワンルームの部屋に、計5人の男がいる状態だ。大の男4人も動員して、私は申し訳なさでいっぱいだった。救急隊員の方々は、車椅子を持って生きていた。ルールなのだろう、私に逐一「この荷物どかしていいですか?」と確認を取りながら車椅子を部屋の中まで入れて来る。この散らかった部屋に秩序などない。何だってどかしてくれて構わないのである。
果たして車椅子に乗れるのか、という問題もあったが、先ほどからまさかのロキソニン大活躍による症状軽減が発生しているため、無事に乗り込むことができた。正直、2、3回のたうちまわって苦しむくらいの一幕があったほうが、救急搬送にふさわしい気がする。隊員さん達に仮病を疑われていないだろうか。少し不安になってきた。
何だか、手のかからない患者であることに後ろめたさを感じつつ、私は車椅子で運ばれていく。マンションの1Fエレベーター前では、住民の人たちが私のために足止めを食らっている。めちゃめちゃ恥ずかしい。何しろ私は腰以外は一切健康だし、安静にしている限りでは腰も痛くない。かなり冷静に自分の状況を把握しているのである。目を閉じ、心なしか苦しそうな表情を盛っている自分がいる。救急搬送されるにふさわしい人物を、つい演じてしまっているのである。
担架に移しかえられ、救急車に収容された私は、順調に搬送された。運転手がメガホンで「はい、どいてください!左折しまーす」などとアナウンスしている。聞き慣れたセリフだが、私のために発せられているのは初めてだ。「そんなに急がなくても大丈夫ですよ……!」つい言ってしまいそうになる。が、言えないのでせめて苦悶の表情を3割増しで作る私だった。
そうして私はストレッチャーに乗せられたまま、病院におろされた。ドラマでしか見たことない救命病棟である。江口洋介や松嶋菜々子がいる病棟だ。ドラマなら緊急オペでも始まるところだ。
「座薬ですね」
と救命医は言った。今回は緊急オペではなく座薬だった。
そして痛み止めの座薬を入れられた私は、1時間後、ついに生まれたての子鹿くらいには立てるようになり、退院することになった。正直、自力で帰るには心許ない状況だったが、いつまで経っても救命病棟のベッドを占拠するわけにもいかない。あと追加で数時間寝たところで良くなるもんでもない。そして何より、救命病棟のベッドは、もっと、救急な人が使うべきなのだ。
受付で治療費を払い、処方箋をもらう。いざという時のためにテイクアウトでも座薬が処方されている。処方箋を持って薬局に行かねばならない。よろよろと歩き、病院の向かいの薬局に入る。すると、受付の薬剤師に緊張が走った。半袖ハーフパンツの男が突然、非常にゆっくり入店してきたのだから、怖いだろう。警戒心MAXの薬剤師に「ぎっくり腰で……」と伝えると、「ああ!」と半ば安心したような表情で対応してくれた。
薬をもらうと、タクシーに乗り、帰宅した。数時間前に、大の男4人によって担ぎ出されたとは思えない、ただの散らかったワンルームの部屋がそこにあった。救急搬送されても、意外とすぐ戻ってこれるんだなあ…。ゆっくりと、非常にゆっくりと横になりながら、私は激しい無力感に浸っていた。
それからしばらくはタクシー生活が続くことになる。出費はバカにならないが、1つ収穫があったとすれば、タクシーの運転手さんに「ぎっくり腰なんですよ」と伝えると、お返しに運転手さんの腰痛エピソードを教えてくれると分かったことだ。タクシー運転手は誰でも、腰痛エピソードを1つは持っているのである。「タクシー運転手の"腰が痛い話"」という番組があれば見てみたいものだ。誰も見なくても、私は見る。
ぎっくり腰でついに救急車で運ばれた話(前編)
この話は記録しておかなければならない。ついに救急車で運ばれてしまった。原因は、長年の宿敵・腰痛である。急性腰痛症、俗にいうぎっくり腰だ。
うだるような8月の朝、目を覚ました私は自分が立てなくなっていることに気づいた。正確には、立とうとすると腰に衝撃的な激痛が走るのだった。ぎっくり腰4回目の私でも、今まで体験したことのないレベルの痛みだ。その痛みは腰の範疇を超え、上半身を硬直させるほどだった。
一番近い感覚は感電だろうか。昔、AD時代にバラエティの感電罰ゲームのシミュレーションを体験したことを思い出した。あれに激痛が追加されている。
何かの夢かもしれない。
一旦起き上がるのを諦めて、しばらく寝てみた。起き上がろうとする。激痛。やはり激痛である。腹筋運動のようにストレートに起き上がることは不可能。そんな時は、一旦ハイハイからの徐々に起立がセオリーだ。いわゆる、腰痛持ちの奥義、「人類の進化」である。だが、人類の進化も激痛に阻まれた。進化失敗、人類は未だサル未満である。
結論:これは通常の腰痛ではない。
既に1時間が経過していた。
度重なる激痛に、精神も疲弊していく。このままでは、永久にここに横たわっていることになる。ブッダか。わしゃ桜の木の下のブッダか。悟りとは程遠い心境で考えた。木曜日である。休日ならもうしばらく様子を見ても良いが、そういうわけにもいかない。夜には外せない打ち合わせもある。枕元のお守り代わりのロキソニンも飲んでみたが効果がない。
救急車しかないだろうか……?
腰以外は完璧に健康体の私だ。果たして救急車を呼ぶに値する症状なのだろうか。救急車って、もっと、こう、救急の人が運ばれるべきなんじゃ……
しばしの葛藤。しかし、葛藤していても仕方ない。そこで私は、スマホで調べ、東京都の救急相談センターに電話してみることにした。
まさかの音声ガイダンスだった。自分で作った映画を自分で体験する日がくるとは……
流石に映画ほどのガイダンスのボリュームはなく、2回のプッシュで担当の看護師さんにつながった。症状を説明する。
「救急車ですね」
あっさり結論が出た。こうして私は人生初の救急搬送が決定してしまったのだ。看護師さんに住所を伝える。
「鍵、開けられますか?」
「ちょっと分かりませんが、頑張ります。もし、開けられなかったら…」
「壊すしかありませんね」
それだけは避けたい。
ぎっくり腰で救急搬送だけでも恥ずかしいのに、ドアまで壊されて突入された日にはたまらない。「分かりました」と言って電話を切った。是が非でも鍵を開けなければならない。できるだろうか、ハイハイすらできなかった私に……
私は意を決して再び人類の進化を試みた。慎重に……先ずは足を折りたたんで、スライドさせて……。なんと、できてしまった。意外とあっさり、ハイハイの体勢までできてしまった。もしかして、ロキソニンが今更効いてきたのだろうか。これはこれで困る。このタイミングで症状が軽くなるのも困る。もはや救急車は来るのだ。私は救急搬送にふさわしい病人でなければならない。あるいは、救急車が来るという安心感が私にプラシーボ効果をもたらしたのだろうか。
余計なことを考えていても仕方がない。
ハイハイのまま、玄関まで向かう。だが、やや回復したと思ったのもつかの間、途中、何度か例の激痛に襲われ、活動停止する私。乗りたてのエヴァより頻繁に活動停止する私だ。その度にくじけそうになる。いつも何気なく開け閉めしていたドアがなんと遠いことだろうか。
このワンルームの部屋がサハラ砂漠のように感じられる。豪邸に住んでいなかったことに感謝しなければならない。年相応のささやかな暮らしに合掌だ。玄関とキッチンが完全に同じ場所にあるという謎の間取りに感謝だ。ついに鍵を開け、そしてまた布団まで戻る。その歩み、リクガメの如し。亀って偉いよな。このスピード感で万年も生きるのに気が狂わないんだもん。
そうして私が再び横たわった頃、遠くから救急車のサイレンが近づいてきた。今までの人生で、何度この音を聞いたことだろう。だが、今までと決定的に違うのは、この音が、私を目指して近づいてきているということだ。
当の私だけが、それを知っている。
天井が、いつもより高く感じた。
なりました。
白桃
人間が人工的に作り出す香料の中で一番レベルが高いのは「白桃」だと思う。最近はいよいよ、皮と果肉の境目の微妙な甘酸っぱさまで再現してないだろうか。ここまできたら、そろそろ実物の桃も作れるのではないだろうか。
白桃香料開発の人よ。あなたは香り界に収まらない実力の持ち主なのだ。自信を持って羽ばたいて欲しい。
痩せたて
銭湯で、まだ若いのに身体中の皮がダルダルな、「最近、急激に痩せたっぽい人」を見てしまった。
テンション上がった。
舵をとれ
カラオケに、長渕剛の「captain of the ship」のショートバージョンというのがあったので歌ってみた。11分の曲が6分になっていた。
きっとカラオケ製作者なりに、舵を取ったのだ。
狂ったAI
PCの変換機能が最近おかしくなり、「ヨネオカ」と打つと勝手に「むらい」に変換するという暴挙に出始めた。誰なんだ、村井って…。米岡とどういう関係なんだ。
なりました。
カップルが成立した時、はにかみながら「私たち、付き合うことになりました…(照)」と報告する輩がいる。私のような屁理屈人間には「なりました」の意味が分からない。「なりました」ってまるで不可抗力で決まったような言い草だが、どっちかが告白してどっちかがOKしたんだろう!?それは自由意志なんだから正しくは「付き合うことにしました」だろう!何を照れ隠しに「なりました」を使うなバカ野郎!
「今年で30歳になりました」「すっかり秋になりました」「私は有罪になりました」「社長の一存でA案になりました」「やっぱり気が変わってB案になりました」などの不可抗力な現象とは別物なのである。気をつけて欲しい。
こういうこと言えば言うほどモテない。
親切の成立
親切の成立
電車でぼーっとスマホを見ていた。目的の駅は次だ。あと数分で降りるというところで、目の前に赤ちゃんを抱えたお母さんが立っていた。
私は、一瞬迷った。
あと数分でどちらにせよ席を立つ。あえて譲って善人ヅラするのもどうなんだろう。だが、この場合の最悪のケースとしては、私の隣に座っている50代くらいのおばさんが、私より先に席を譲ってしまうことだ。“子連れに席を譲らないどころかおばさんに席を譲らせて知らんふりの大バカ極悪男性”になってしまう。
それは避けたい。
私は席を立った。すると、お母さんは「大丈夫です。次で降りるので」と言うではないか。席を譲りに行って断られることほど恥ずかしいことはない。親切と遠慮の間に発生する真空ポケットに落ちると、気まずい上に容易には抜け出せないのだ。(これが、いつも私が席を譲る前に一瞬迷ってしまう理由だ)
だがもう後には引けない。
私はとっさに「僕も次降りるので」と言った。だから何だ、という発言だ。だが、私の鬼気迫る顔に気圧されたのか、お母さんは「じゃあ…」と言って、空いた席に、近くにいたもう1人の子供(幼稚園児くらい)をそこに座らせた。
何とかギリギリ成立した私の親切だったが、数分後、電車は駅に到着し、私、お母さん、その子供達は皆、ぞろぞろと降りたのだった。
あの時間は何だったのだろう。
署名
最近多いのだが、携帯の契約の時などに、タブレットに電子ペンみたいなやつで署名するやつ。幼稚園児かっていうくらいものすごく下手な字になるのだが、あれ意味あるのだろうか。
あとで「これ、あなたの字ですよね?」と言われても何とも言えない。
しみじみ
水野晴郎のように「いやあ、組織って本当に恐ろしいもんですね」と言ってみる。
少しは和むだろうか
絶叫
スマホの音量設定をマックスにしていたことを忘れて、そのまま適当に音楽を再生してしまった。鼓膜に「ヌォオオオムオァアアクラアアアアアイ!!!」と絶叫が突き刺さる。
D51の「NO MORE CRY」だった。
泣くわ、こんなもん。
たぬき
難所
私はいつもカラオケでキーを−6に設定するくらい高い声の出ない人間だ。逆に低い声なら大抵出る。そんな私でも、かなり集中しないと歌えない、地を這うようなフレーズがある。
それは、19の「あの紙ヒコーキ曇り空わって」の「“大丈夫さ?裏切られることはもう慣れてるから…”」の「から…」の部分だ。この「から…」はかなり低い。「から…」と言おうとしてただの唸り声になっている時もあるほどだ。
そのあとサビの「夢を描いたテストの裏~」で一気に高くなるため、安易にキーも上げられない。
古民家カフェ
以前住んでいた家の近所に、日当たりが悪くて居心地の悪い古民家カフェがあった。
古民家カフェが、居心地悪くちゃおしまいだ。
福山ファン
半年に1度くらい、深夜1時過ぎに、マンションの隣の部屋から大音量で、福山雅治メドレーが聞こえてくる。「家族になろうよ」「最愛」などのバラードBESTだ。迷惑だし、怖いのだが、選曲を見ると悪人とも言い切れない。
たぬき
30歳の夏。冷やしたぬきそばの美味さをしみじみと理解する。昔は、この良さを理解できなかった。天かすに価値などないと思っていた。だが今なら分かる。冷やしたぬきそばは、優しい。かき揚げのように尖らず、きつねのような濃さもない。ただ、サクサクするだけだ。サクサクサクサク…気づいたら、どこかへ消えている。
冷やしたぬきそばを食べているおじさんを見かけたら、優しくしてあげよう。
言い方
「腰が痛い」と言っていても仕方ないので、表現を変えて「腰が泣いてらあ」と言ってみたらどうだろう。少しは何かが変わるだろうか。
カラオケ
1人でカラオケに行き、カントリーロードを歌って、しかも高得点を出してしまった。
疲れてるのだろうか。