手羽作文

備忘録と反省文を兼ねて書くブログ

にわか知識で観るアベンジャーズ

エンドゲーム 

アベンジャーズ エンドゲーム 」が世界中で大ヒットしている。

私は慌てて前作「インフィニティ・ウォー」をレンタル鑑賞し、劇場に足を運んだ。

つまり、最低限のにわか知識だけ詰め込んで観に行ったのである。

その結果、細かいところは分からなかったが、概ね楽しめた。

ところがYahooの映画レビューを見ると、日本の古参ファンからすれば不満が多いようだ。

それを読むといちいち納得させられることばかりで、私も古参ファンだったら、不満を抱いたのかもしれない。

いつものことながら、にわかの方が楽しめるというのは皮肉な話だ。

私は、最後にヒーロー達が集合するシーンでは、その半数以上が誰か分からないにも関わらず、なんだか壮大な雰囲気にやられて泣いてしまった。

「うわあ、みんなどんどん集まってきた!」

などの薄い感想を抱きながら泣いていた。

途中一瞬我に帰り、

 「こんなアメリカ版・東映ヒーロー祭りで泣くなんて恥ずかしいなあ

と思ったが、涙は急に止まらない。

例えば仮面ライダーは(一部ファンを除いて)子供のためのコンテンツだが、

アベンジャーズを「子供向け」と言う人はあまりいない。

この違いは何なのだろう。

変身して超人になり戦うという流れは同じだ。

壮大なCGを使って「愛と死」というテーマを描けば大人向けになるのだろうか。

それとも、元々どこにも垣根などないのだろうか。

 

声がけ運動

アベンジャーズを見ていて気になるのは、

敵と戦い始める前に、一言声がけする時と、しない時があることだ。

例えば、

 

敵「ここが貴様の墓場だ!」

ヒーローA「(追い詰められて)くそっ!」

敵「フッフッフ」

ヒーローB「(背後から)それはどうかな」

敵「何!(振り返る)」

 

という流れがある。

この時、ヒーローBが声がけせずに問答無用で背後から敵を刺していれば地球は救われて一件落着なのだが、それはせずに一度声がけして敵を振り向かせるのだ。

それがヒーローとしての騎士道精神だ、ということであれば納得できるのだが、3回に1回くらいは背後から問答無用で攻撃する時もある。

そのまま敵を複数で袋叩きにして勝利することもある。

それはそれで死闘という感じがして嫌いじゃないのだが、どっちかに徹底してほしい気がする。

 

多数派

Yahoo映画のレビューには、星1つの低評価をつけた後で、「映画館でもエンドロール中に席を立つ人が多かった」と書き足す人がいる。

自分の意見はあくまでも独りよがりではなく、客観的に見ても多数派である(少なくとも少数派ではない)ということをアピールしているのだ。それによって、より自分の意見を強固にする目的があるのだろう。

確かにこの「エンドロール中に席を立つ人が多かった」発言には、「現場からは以上です」的な、ジャーナリスト的な説得力があるように思える。

違和感があるとすれば、映画のレビューという、元々独りよがりなものを、そこまでして強固なものにする必要があるのか、ということくらいだろうか。

 

エンドロール

私はエンドロールを見るのが苦手だ。

面白かった映画でもエンドロール中に席を立つことがある。

映像制作を生業としているくせにあるまじきことだが、じっと座って映像を見るのが苦手なのである。

本編はストーリーが進んでいるから見ていられるが、意味不明な文字列が、真っ暗な画面を流れているだけの画面をずっと見ているのは結構辛い。

その分、サービス精神のあるエンドロールを見ると感動する。

あと、エキストラの役者さんの名前がまとめて流れてくる中に、異常に個性的な芸名(「でんでん」的な名前)を見つけると、少し楽しい。

根拠もなく「こいつはエキストラで終わる器じゃない…!」と思う。

それくらい暇なのだ。

 ついに音楽がフィナーレに入り、いよいよエンドロールも終盤かと思いきや、一瞬の静寂の後、2曲目が「まだまだ続くよ」とばかりに壮大に始まった時の絶望感ったらない。