手羽作文

備忘録と反省文を兼ねて書くブログ

映画祭でグランプリをいただいた話

これはやはり記録しておかなければならない。監督した短編映画「VR職場」が、ついに、グランプリをいただいてしまった。これ以上ありがたいことはない。とにかく今後も頑張って色々な賞に引っかかりたいと思っている私だが、生まれて初めてグランプリをもらう経験というのは、後にも先にもこれっきりなのである。

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そんなこんなで私にグランプリをくれたセンスのいい映画祭は、「渋谷TANPEN映画祭CLIMAXat佐世保(以下略称:STFF-S)」という映画祭であった。簡単にいうと、渋谷で予選が行われ、決勝は佐世保で行われるという短編映画祭だ。色々あって渋谷と佐世保は縁が深いらしく、主催者の方が佐世保出身かつ渋谷で起業されているということもあって、とにかく「STFF-S」は今年で3回目の開催を数えている。

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かくいう私も4年間渋谷に住んできた身であり、脚本も渋谷で書いたし、撮影だって渋谷で行った。渋谷のハロウィン真っ只中、宇田川町のガストでゾンビに囲まれながら脚本を書いていたこともある。機材を担いで道玄坂のホテル街を宮沢賢治ばりにオロオロ歩いたこともある。そんな作品(どんな作品だ)が渋谷の映画祭でグランプリをいただけたのだから、これはまさに感無量ということだろう。

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なぜか正面カメラの写真ではなく、横からの写真が使用された新聞

先に述べた通り、渋谷で何回か上映を経たのち、グランプリの発表は佐世保で行われるため、映画祭参加者たちは佐世保に集結する。イベントは三連休を使って行われたが、夜は皆やることがないため、必然、毎日佐世保の街で集まって飲むことになる。皆さん愉快な方々で、仲良くしてくださり、久々に「仕事じゃなく人と仲良くなる」というプロセスを体験したな、と思った。まあつまり、楽しかった。

 

それでもやはりグランプリの発表の前には、少し1人で佐世保の街を散歩し、色々なことを考えたりした。映画祭に応募を始めてそろそろ1年になる。自分にとっては初めての経験が多かった。日本中に数多くの映画祭があることにも驚いたし、DVDを何枚も焼いて、それぞれの応募用紙に記入して送ることの大変さも分かった。(対して、閲覧URLで応募できる映画祭のありがたさよ!)

そして、落選した時のダメージというのにも、最初は慣れなかった。まあ、慣れるのもどうかと思うが、少なくともそれでモチベーションを落としても仕方ない。例えば、映画祭によっては「私たちはあなたの才能を埋もれさせません」というキャッチコピーを掲げているところもある。そういうところに落とされると、「お前には埋もれる才能すらない」と言われているように感じたりした。完全に考え過ぎているし、映画祭の人もそんなつもりじゃないと思うが、始めて自分でゼロから作った作品ということで、自分自身そのものと重ねてしまっていた部分もあるのだろう。余談だが、今回のことで「選ばれるのをただ待つ」というスタイルは精神に悪影響だということを実感した。大奥の人間模様がドロドロになるのもうなずける。

 

一方で、選んでいただいた映画祭も数多くある。落選がかさむにつれて、入選のありがたみが沁みるようになった。ただし、その会場で賞がもらえないということも多く経験した。時にはノミネート監督たちが壇上に上げられて、グランプリが発表される。その時、どういう顔で拍手をすればいいのか?仏頂面がマナー違反なのは分かるが、満面の笑みも違う気がした。

必然、行き場をなくした悔しい気持ちを抱えて帰宅することになる。

眠れない夜もあった。

ある意味、それが表に出ようとする者の勲章なのかもしれないと今なら思うし、今後もそういう夜はあるんだろうけど。

 

そんなこんなで一喜一憂しながら半年ほど過ぎたが、ある日突然思った。

「失ったものを数えるのはもうやめにしよう。得たものを大切にしよう」

気づくのが遅いが、なかなか重要な指標にたどり着いた気がする。思えば、映画祭で得られた人脈も多く、「一番面白い」と言ってくれた人もいた。賞が撮りたいとか、脚光を浴びたいとか、そんな前のめりさが悪いとは言わないが、上ばかり見てクサクサしているのも良くない。

地に足をつけて次のことを考えよう。そう思い始めた矢先のことであった。「STFF-S」で最多部門ノミネートされているという。(作品賞、脚本賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞)最多部門ノミネートというのはつまり、グランプリ最有力候補と捉えて構わない、ということだ。

地に足をつけよう、と決めた直後にグランプリの気配が漂ってくるとは、なかなか人生はうまく噛み合わないものである。(スケジュールに関しては「STFF-S」というのは特殊な映画祭で、1日で全てが決まらない。ノミネートが決定してからも渋谷で何度か上映があり、さらに佐世保で賞が決定するまで2ヶ月ほどの猶予があった)

 

評価してもらえることの嬉しさはある。

だが、今年のアカデミー賞、「アイリッシュマン」が10部門ノミネートされながら無冠に終わったのを見て、他人事じゃないと感じる自分もいる。スコセッシだって無名の日本人監督に感情移入されても困るだろうが、期待が膨らめば膨らむほど、叶わなかった時の反動が大きくなってしまう怖さがあった。

そんなこんなで、なるべく「STFF-S」のことは考え過ぎないように過ごしていたのだが、佐世保に入れば必然意識せずにはいられないし、考える時間もそれなりにある。自分の中で期待と不安どんどん重くなっていくので、どこかで抜いておく必要性を感じていた。最近涙もろくなってきてるし、グランプリ獲って泣くならまだいいが、獲れなくて泣くのはみっともない。そこで私は賞発表の直前、1人で散歩に出て、小田和正の「たしかなこと」を聞いて先に泣いておくことにした。

乱暴な話だが「たしかなこと」を聞けば大抵の景色が感動的になる。(佐世保の景色は元から綺麗だけどね)

5分後、佐世保公園のベンチに謎の号泣男が爆誕した。通報されなくてよかった。

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YouTubeには本家の音源がない。松崎しげるver.ならある。
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佐世保の港

そんなこんなで、実際にグランプリが発表された時、私は安堵し、大変嬉しい気持ちになったが、泣きはしなかった。その代わり、予想外なことに、何か重圧のような、責任感にも似たようなものを感じた。それは、映画祭に対してや、他のノミネート作品に対してのことだと思う。私の勝手な気持ちだし、傲慢かもしれないが、そうだった。思えば、私が今まで映画祭で背中を見てきたグランプリ作品の監督たちも、そのように感じていたりしたのだろうか。

打ち上げにて、他の監督さんたちが気さくに話しかけてくれたり、時には祝ってくれたりしたのを見て、私は今まで、このように広い心で打ち上げに参加してきただろうか、と自省した。きっと皆悔しいに違いない。今日眠れないかもしれない。

それでも、皆笑っている。

まあ、私と違って百戦錬磨の方々だから、もっと違う境地にいるのかもしれない。ついでに言えば、私は他のノミネート作品のほとんどに、別の映画祭で負けたことがあるし、別の映画祭でグランプリをとった作品もある。だから本当に賞というのは、審査員がどこに重点を置くかで全く変わるのである。

そう考えれば、私が今まで重く考え過ぎていただけなのかもしれない。こんな簡単なことに気づくのにも1年かかるんだなあ。

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ありがとうございました

映画祭が終わって、知り合った役者さんと一緒に、佐世保市の外れの防空壕を見に行った。彼の次の出演作品で防空壕のシーンがあるので見てみたいのだという。

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小学生たちがこれを掘ったというのだから驚きだ

特に予定がなかったので、ついて行った。そこには常駐のボランティアガイドのお爺さんがいて、見学者である我々が近づいてくるのを待ち構えており、怒涛の防空壕解説を15分くらい聞かせてくれた。とってもわかりやすいガイドだったが1つだけ難点があり、こちらから質問をしても全て無視されてしまうのである。

RPGのキャラかと思った。防空壕の前に立ってるところから込みで、RPGっぽい。

ガイド内容を暗記しているから、あまりペースを乱されたくないのだろうか。悪意がなく、ナチュラルにスルーされるので、笑いそうになってしまう。とはいえ戦争の話なので、もはや「笑ってはいけない防空壕2020」であった。佐世保の思い出はそんな感じ。

 

徒然と書いてきたが、とにかく、この1年結構もがいてきたな、ということと、「STFF-S」関係者の皆様への感謝の気持ちが記録されていれば、この記事は役割を果たしたとしよう。次の眠れない夜に、またこの記事を読むかもしれないし。