手羽作文

備忘録と反省文を兼ねて書くブログ

腰痛の季節がやってきた

腰痛には季節があるらしい。

昨日腰痛になってそのことに気がついた。

ここ3年間、毎年5月に強い腰痛を発症しているのである。

何か湿度の変化などが腰に影響を与えるのだろうか。

昨年などは、5月に発症して峠を過ぎてからも、10月くらいまでずっと痛かった。

やはり湿度が関係しているのではないだろうか。

 

ここでいう腰痛の発症とは、「朝起きたら立てない」レベルの腰痛のことである。

腰が痛いかどうかで言えば、それは年中痛い。

しかし、毎年この時期に、超ド級の痛みがやってくるのだ。

 

腰痛が発症すると、まず立ち上がることができず、寝返りを打つこともできない。

這うことはかろうじてできる。

そこから、何かに捕まったりして、少しずつ立ち上がり、何とか用を足して30分経過、というスケジュール感で生活することになる。

もしかしたら腰痛は、私に赤ん坊だった頃のことを思い出させようとしているのだろうか。

あるいは逆に、赤ん坊は皆腰痛なのだろうか。

その可能性はある。

何しろ彼らは喋れないし、喋れるようになった頃には腰痛のことなど忘れているだろう。

 

そう、腰痛のことは、健康な時は忘れてしまう。

なので、こうして忘れないうちに書き留めておこうと思ったのだ。

 

今年の腰痛は、かなり急にやってきた。

発症前日から腰に痛みが出始めたと思ったら、翌朝急に「立てない…」である。

休日だったら良かったものの、大事な仕事がある日だったら大惨事である。

ましてや自分の結婚式だったりしたら悲劇だ。

新郎が這っている結婚式などあるだろうか。

腰痛持ちはおちおち結婚式の予定も立てられない。

 

その日は幸運なことに結婚式の予定はなかったが(元々結婚の予定など無いのだ)、TSUTAYAの返却期限であった。

これはこれで悲劇である。

TSUTAYAに延長料金を払うこと以上の無駄遣いなど無いと思っている私だ。何があっても返却しなくてはならない。

私は、とにかく夜まで安静にし、炎症を抑える薬などをフル活用し、ようやくかろうじて歩けるレベルに回復したところで、ついに強行軍に踏み切った。

TSUTAYAまでは徒歩5分(平常時)の道のりである。

しかも、結構な人通りの中を進まなくてはならない。

うっかり肩などぶつかった日には腰の崩壊は免れない。

私は時速1kmくらいの速度でソロソロと進んでいく。

かといって後ろから押されでもしたらそれはそれで瞬殺である。

押されただけで死ぬなんて北斗の拳のザコ敵と腰痛持ちぐらいのものだ。

 

歩きながら、「世界最弱の生き物」というキャッチフレーズが頭をよぎる。

私に今キャッチフレーズをつけるとしたらまさにそれだ。

工芸品のヤジロベエなどはこういう気持ちなのだろうか。

「人間ヤジロベエ」というキャッチフレーズなどもアリだ。

あるいは、先ほどの例えで言えば、やっと立てたばかりの赤ん坊が一人で繁華街を歩いているのと同じ状態だ。

さっきから例えが渋滞しているが、それぐらい危うい状態なのである。

 

何とか無事にTSUTAYAの返却は済んだのだが、意外と、歩いているうちに腰痛は軽くなったりすることを思い出した。

逆に安静にしすぎて、腰に全く負担をかけなかったりすると治りが遅くなるのである。

座っていて突如立ち上がったりすると、激痛が走ったりする。

背もたれに頼りすぎたりするのもあまり良くない。

この辺の機微は「中堅腰痛もち」となった今だから分かることだ。

若手の頃はわかってなかった。

 

中堅ならではの素早い処置が功を奏し、翌日にはかろうじて歩いたりはできるようになった。

だが、ここから秋まで長引かせないために、一瞬の油断も許されない。

腰痛との戦いはまだ始まったばかりなのだ。

スリランカ旅行記⑥「象の孤児院とスリジャヤワルダナプラコッテ」

↓前回の旅行記

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最終日のハプニング

ついにスリランカ旅行の3日目にして最終日を迎えた。

朝は市場を見学(テレビでよく見るような、カラフルな野菜が積み上げられた市場)し、その後は紅茶の専門店へ。

スリランカといえば確かに紅茶が有名なのは知っていたが、このツアーの例に漏れず、私が買わないと終われない。しかし宝石に比べれば安いものである。ややお土産感覚が麻痺してきているが、致し方ないことだ。

しかし、紅茶屋を後にした車内でハプニング発生!

腹痛である。

元々お腹の弱い私であったが、連日のカレー生活についに耐えきれなくなったのだろうか。ほとんど両側がジャングルというような道を走っているときに腹痛を催してしまった。

ガイドさんに伝えると、「OK」と言ってしばらく走り、小屋のような民家の前で車を止め、中に入って何事か交渉を始めた。トイレを借りてくれたのだ。頼りになるガイドさんである。さらにトイレから出ると、「これを飲め」と言って、小さなグラスに入った謎の液体を渡してくれた。

ライムと薬草を混ぜた薬で、腹痛に効くらしい。

さすが、スパイス大国のスリランカである。まさかの民間療法をここで体験することになるとは。注意点としては「一気に飲め」とのことだ。なぜ一気に飲まなければいけないのかは分からない。分からないが、3日も一緒のガイドさんである。ここは信じて一気をするしかない。民家の住人の方もとても親切で、心温まる体験であった。

 

像の孤児院

薬のおかげか腹痛は収まり、この日の目玉スポット、「象の孤児院」を訪れた。

ここでは大量の像の孤児たちが育てられており、一斉に川で水浴びする様子が壮観で、観光客たちに人気なのである。確かに、それは迫力のある光景であった。

その後、象を間近で見られるスポットがあり、その柵の周りには観光客たちが集まっているのだが、中にいた飼育委員が私に向かって「カモン!」と言っている。どうやら象に触ってみないか、と言っているらしい。

行ってみると、象に触らせてくれ、写真も撮ってくれた。しかし、この時の私は暑さでどうにかしていたのだろう。撮影後、当然のように料金を請求された。しかも約1000円である。事後なので交渉もしづらい。この3日間、スリランカで何を学んできたのだ。

カモ日本人ここにあり、である。

飼育員も、たくさんいた観光客の中から、私のカモオーラを感じて指名したのだろう。象の皮膚は硬い毛が生えていてチクチクしていたが、それよりも心にチクチクと刺さる体験であった。

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孤児院の象。ぼったくられた写真はどこかに行ってしまった。

 

最大都市コロンボ

最後に車は空港のある最大都市コロンボへ向かう。

道すがら、ついに、あの世界一名前の長い首都「スリジャヤワルダナプラコッテ」を見る。見たところでどうってことはないのだが、とりあえず見ることに意味がある、気がする。

飛行機の時間までコロンボ観光である。

都会らしくビルが並んでいたが、なんと近くにビーチがあり、そこは人々の憩いの場で、家族づれたちが凧揚げをしていた。スリランカで凧揚げがこんなにメジャーだったとは。様々な形の凧が上がっている。さらにたくさんあるベンチには、そのそれぞれに若いカップルが等間隔で座り、愛を囁きあっている。京都の鴨川みたいな状態だ。

しかしさほど広くないビーチに全年代が憩っている。若いカップルたちは、うっかり自分の家族とかと鉢合わせたりしないのだろうか。

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コロンボのビーチ

時間つぶしに、スリランカで最も大きいというスーパーに連れて行ってもらった。これが驚きで、さほど大きくない。日本の地方の一般的なスーパーとさほど変わりない。日本の豊かさを感じる瞬間だった。

夕食の前に、ガイドさんから離れて、コロンボの街を1人で散歩してみた。

3日間、カモられ続けてきた私はそれだけで緊張である。途中で軍の基地のそばを通り過ぎたり、謎の老婆に話しかけられたりもあったが、無事に元いた地点に帰還。栄えていない地域もあり、その一部を垣間見ることができた。

そして、スリランカでの最後の食事であるが、なんと中華であった。

まさかの中華である。

これまで一食も欠かさずカレーバイキングだったのに、最後だけ中華。まあ、カレーは食傷気味だったのでありがたくはあるのだが…。

そうして、スリランカの旅は終わった。

ツアーだったとはいえ、初めて1人で行った海外は、勉強になることも多く、大変実りの多いものであったと思う。

一回りたくましくなったかのような気持ちでガイドさんと別れた私だったが、その直後の出国審査で突然何事かを話しかけられ、アワアワしてしまうという体たらくで、あとでよく思い出せばどう考えても出国審査官は「How are you?」と言っていたのであり、それすら返せなかったことに、先ほど感じた成長が錯覚であることを知るのであった。

更にいえば、帰りの飛行機でも「チキンor◯#$%△&◇」の「◯#$%△&◇」が聞き取れず、結局チキンカレーを食べる私であった。本当に何も成長していないのである。

しかし、海外に行くと毎回思うが、成田についたときのあの安心感は何だろう。もしかしたらあの安心感を味わうところに海外旅行の醍醐味があるのでは、と思われるくらいに、あの安心感はプライスレスである。

スリランカ旅行記 終わり)

スリランカ旅行記⑤ 「スリランカでお買い物天国」

↓前回の旅行記

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お買い物ラッシュ

シギリヤロックを降りた私には、HISの用意したお買い物タイムが待っていた。

様々な土産物屋を回るのだ。

当然、出発前にスケジュールには目を通してはいたが、お土産に興味のある参加者向けだろうと思っていたため、さほどの意識もしていなかった。

しかし、参加者は私1人なのである。

各店で、ツアーの到着を待ち構えていた商人たちが、私1人に向けてセールストークを炸裂させるのだ。そのプレッシャーは凄まじく、どう考えても「買いません」で終われる雰囲気ではない。

押しに弱い日本人である私は、この怒涛のようなプレッシャーの波に、為すすべなく飲まれていくのであった。

 

1軒目。

スパイスガーデンという名の、スパイスやオーガニックの薬品を売っている店。

リラックス効果のあるスパイスから、永久脱毛のできるクリーム、痩身に効く薬まで、にわかには信じがたい効能が次々と語られる。全て植物を使った伝統的な製法で作られたものらしい。

1つも興味が湧かないが、肌にいいという白樺オイルを購入。

 

2軒目。

宝石屋。スリランカは宝石で有名なのだ。

30人は入ろうかというミニシアターに案内され、スリランカの宝石がいかに良質かというビデオを見せられる。30人用のミニシアターに私1人という、映画好きの大富豪のような状況だが、店側のプレッシャーをひしひしと感じながら見ているので全く落ち着かない。

さらに現れたのは占い師である。スリランカ占星術で私を占い、ラッキーストーンはブルーサファイア、でもお守りにはルビーが最適、とうやうやしく告げた。ラッキーストーンとお守りって何が違うのか。

ここまでやられて断る度胸は無い。私は小さな宝石を2つ買った。小さいといっても宝石である。これが一番の散財であった。

ちなみに、占い師は他にも、2009年から2015年の7月まで私には土星がついており、不運をもたらしていると言っていた。

不運の期間が長い…。

就職してからずっと不運に取り憑かれていることになる。だから仕事も辞めたのだろうか。

 

3軒目。

スリランカの伝統衣装の店である。

最もいらないと言っても過言ではないが、不買は許されない。

瞬く間に私はスリランカの伝統衣装を試着させられ、店員のお姉さん(伝統衣装着用)と記念撮影を撮らされ、しかし、どう考えてもいらないので、精一杯の抵抗を見せて、シルクのスカーフに落ち着いた。

ここの店員さんはこの間まで渋谷に住んでいたというお兄さんで、めちゃくちゃ流暢な日本語で私を追い詰めたのだった。

 

こうして次々と土産物を買わされた私は、寂しくなった財布をいたわりつつ、

しかし、このツアーをある程度成立させるためには必要な犠牲だよな…と自分に言い聞かせながら車に乗り込んだ。

なぜ「ツアーの成立」にこれだけ責任を感じなければならないのか

買ったもののほとんどは帰国してから両親にあげたので、有効に使われていることだろう。

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民族衣装を着せられた私。自分でも何をしているのかよく分かっていない。

 

キャンディという街

その日の夜は、キャンディという街で「キャンディアンダンス」という伝統的なスリランカのパフォーマンスを見た。

キャンディアンダンスのパフォーマーは、センターの若い女性を除いてベテランの中年女性たちが担当しているのだが、腹を露出する衣装の割に全員肉がはみ出しており、「あれだけ激しく踊っているのになぜ痩せないのか?」という疑問が残った。

 

最後は仏歯寺という寺を見学。

スリランカには熱心な仏教徒が多く、ブッダの歯が収められているという巨大な寺院は、参拝する人たちで溢れかえっていた。

床で瞑想している人も多く、日本よりもはるかに熱心な仏教国という印象を受けた。

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キャンディの寺院

 キャンディの街は、中央に湖のあるとても栄えている街で、夕日が沈む様子はそれはそれは美しかった。

その日のホテルは最終宿泊地であったが、これが、今までの2箇所と比べてグレードが高く、思わずテンションが上がってしまった。

思えばHISの構成の妙に踊らされているのだが、流石としか言いようがない。

↓次回、ついに最終回

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スリランカ旅行記④「シギリヤ・ロックと木彫りの象」

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シギリヤロックへ

ネパール地震の衝撃冷めやらぬまま、現地での2日目を迎えた。

この日はビッグイベントが予定されている。世界遺産「シギリヤ・ロック」に登るのだ。

ジャングルの中に突如存在する巨大な岩で、スリランカの中では第一の観光地と言えるだろう。そして、5世紀に、この岩の上に王宮を築いた王がいたために遺跡まで残っているのである。

どうやら狂気の王だったらしいが、王の狂気がその後何百年もスリランカに観光資源を残したのだから分からないものである。まさに見応え満点の観光地と言えるだろう。

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シギリヤロック登頂前。驚くほど逆光。左にいるのは野良犬。

 

 

シギリヤロックの麓に着くと、ガイドさんが若者に交代になった。

どうやら今までついてくれていた中年のガイドさんは心臓に病気を持っているため、登りたくないらしい。昨日の遺跡でダルそうだったのも頷ける。

若いガイドの方はもちろん日本語が喋れたが、話を聞くと、日本に行ったことはないと言う。さらに日本語だけでなく、英語はもちろんフランス語とロシア語もできるらしい。

それでいて現地に行ったわけでなく、あくまでも勉強によるものなのだ。

つまり彼は、どんな国籍の人が来ても概ね対応できるように訓練された、筋金入りのシギリヤガイドのプロフェッショナルなのである。

飛行機の中で機内食の種類すら聞き取れなかった私など、彼と比べればウンコのような語学力だ。

シギリヤロックは登頂まで1時間弱。

気温は当たり前のように30度を超えており、汗だくは免れない。

遺跡はまさに「THE・遺跡」という感じで、ゲームでしか見たことのないような世界観が現実にあり面白い。また、頂上から見る景色も圧巻で、まさに世界遺産という感じの場所であった。

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シギリヤロック登頂後。写真を撮ってくれるガイドさんに気を遣って空元気を出す私

 

シギリヤの商人に捕まる

ただし、岩の中腹あたりで現れる怪しげな商人には要注意である。

彼は木彫りの象を売っている男なのだが、彼の「これはただの象じゃないんだよお兄さん」という日本語に立ち止まったが最後、何が「ただの象ではない」のかの説明を聞かなくてはならなくなり、最終的には買わされる。

というか、私は買わされた。

日本円で約5,000円である。ちなみに、その象の正体は立体パズルのようになっており、ガチャガチャと仕組みを外していくと、中に空洞が現れ、小石ぐらいなら隠すことができるというものであった。

そこまでして隠したい小石大のものなど一つも無かったが、私は買った。例によって、ここまで説明を聞いて買わなかったら怒られるかも、というビビリに加え、暑さで頭がおかしくなっていたのだろう。海外でカモにされる日本人の典型である。

私が謎の木彫りの象を買っている間、ガイドの青年は静かに待っていた。

「まーた日本人が捕まってら…」と思っているのだろう。

あるいは、彼と商人は仲間なのかもしれない。

何はともあれ、シギリヤロックの頂上から見る景色は素晴らしかった。

 

シギリヤロックを降りると、中年のガイドさんが待っていた。

ミネラルウォーターが美味い。(ちなみにスリランカのミネラルウォーターはキャップのギリギリまで水が入っているため、不用意に開けるとこぼれるので注意が必要だ)

見事にカモられた私だが、これはまだカモられの序章に過ぎない。

ここから怒涛のショッピング地獄が始まるのである。

 

↓次回

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スリランカ旅行記③「本場のアーユルヴェーダ」

前回の記事↓

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アーユルヴェーダを体験することになる

こうして謎のオプショナルツアーから戻ってきた私とガイドさんだったが、その時点でまだ17時くらいであった。

夕方である。

するとガイドさんから、アーユルヴェーダやってみる?」という提案があった。

アーユルヴェーダ」とはインド版のオイルマッサージのようなもので、美容と健康に良く、スリランカは本場なのだ。「アーユルヴェーダ」の施術を受けるためだけのツアーもあるほどだ。

私も、一応なんとなくは知っていたが、美容に興味があるわけでもないので特に受ける予定はなかった。しかし、こう時間が余ってしまっては、せっかくなので体験してみようかという気持ちにもなってくる。

ガイドのおじさんに参加する旨を伝えると、これもオプショナルツアーだった。商売上手なガイドさんである。1人しか参加していないツアーでも、こうして少しずつ利益を出していくのだろう。

そうして連れて行ってもらったのは、森の中にある大きめの木造施設だった。

中に入ると、欧米のマダムでごった返している。どうやら人気のアーユルヴェーダ施設らしい。欧米のマダムでごった返している待合室にいる自分の場違いさは気になったが、それだけ人気なら受けて損はなさそうである。

やがて私の番が来て、係の少年に誘導されて個室のようなところへ連れていかれる。

もうガイドさんはいないので、お互い片言の英語であるが、少年も私と同じく英語があまり喋れない様子である。

どうやら服は全て脱がなければならないようだ。脱衣が済んだところで、タオルをかけられ、マッサージ開始となった。

聞いてはいたが、頭からとにかく何回も油をかけられるのだ。正直気持ち悪い。

しかし、この油にインド文明の神秘が詰まっているのかと思うとありがたいような気もする。全身油まみれになった私は、そのまま廊下を移動し、謎の草が敷き詰められた狭い部屋に連れてこられた。

すると、少年は、「ここで待て」というようなことを言い残し、ドアを閉めて出て行ってしまった。

 

視界ゼロのプチパニック

しばらくして、ぼーっと待っていた私は仰天することになる。

なんと壁や床など四方八方から煙が出てくるではないか。

「毒ガスかも…!」と頭の中で緊急警報が鳴り響く。

しかし、油まみれで全裸の人間に何ができるというのだろう。

そうこうしている間にも、煙は部屋の中に充満していき、もはや自分の手も見えないくらいの濃霧状態になってしまった。

これは本当に正常なメニューなのだろうか。仮にここで煙を浴びるというのが施術の一部だとしても、この煙の量は出過ぎじゃないだろうか。少し息苦しい気もする。

アーユルヴェーダ中の事故で邦人死亡」というニュース映像が目に浮かぶ。普段そんなキャラじゃないだけに、知人に「あいつ、アーユルヴェーダに興味があったんだな」などと思われるのも辛い。

ましてやこの施設が、この煙で旅行者の気を失わせてどこか中東にでも売りさばくスリランカ人身売買の拠点」かもしれないのだ。死ぬよりも辛いことになる可能性もある。「注文の多いアーユルヴェーダだったらどうしよう…。悪い想像がどんどん一人歩きし、もはやリラックスどころか緊張の局地に達してしまう私だった。

幸いにも悪い想像は杞憂に終わり、おそらく15分くらい経ったところで煙も引き、少年が迎えに来た。人身売買ではなかったようだ。

外に出られるというだけで生き返った心地がした。暑苦しいスリランカの空気も、爽やかに感じられる。

こうしてシャワーを浴びて全メニューが終了した。アーユルヴェーダ、決して悪いものではないと思うが、施述の説明を事前に受けた方がいいのは確かである。

外に出るとガイドのおじさんが、例によってホットティーを用意して待っていてくれた。熱い。熱いが、生きて戻れた喜びを噛み締めながら飲むホットティーは格別である。

その日はすっかり夜になり、私は2日目のホテルへ送ってもらい、解散した。そこから急な雷雨に停電などもあり、しみじみ「日本はありがたいな」と噛みしめる。スリランカでは、暑いからって冷たい飲み物がどこでも飲めるとは限らないのだ。

そんな時、衝撃のニュースが私のスマホに届くことになる。

2015年4月25日のネパール大地震の知らせであった。

まさかの、スリランカと並んで旅の最終候補地であったネパールで、約9000人が死亡するという大地震が起きていたのである。

もしあの時ネパールを選んでいたら、たった3日の旅行の中日に地震に直撃していたことになる。私は本当に生きて帰れなかったかもしれない。

煙で燻されただけで済んで幸運だったのだ。

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載せる写真がないので、前回の牛車の写真です。

 

↓次回、世界遺産「シギリヤ・ロック」に登る

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