手羽作文

備忘録と反省文を兼ねて書くブログ

大ギャグ

大ギャグ

選挙を勝ち抜いて国会議員になり、さらに与党内で出世して厚労大臣になり、その時ちょうど新たなウィルスが流行していて、そんな中臨んだ記者会見で、マウスシールドをズラすという大ギャグ、どんな天才芸人でも敵わない。

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言い間違い

言い間違いの多い同僚のTが、「お菓子の家」と言おうとして、しきりに「おうちの家」と言っていた。

気持ちはわからないでもないが、それではただの家である。

 

あと何回

死ぬまでにあと何回、腹痛でトイレに駆け込むのだろう。

死ぬまでにあと何回、鼻から鼻毛が飛び出すのだろう。

死ぬまでにあと何回、夏の暑さに辟易するのだろう。

時々、無意味に考える。

 

思っちゃう

「具材は全てカレーに溶け込んでます!」と言われた時、つい「溶け込んでなくていいのに」と思っちゃうことあるよね。

おじさんのくしゃみ

おじさんのくしゃみ

不必要に大きな声を出すくしゃみを、私は「おじさんのくしゃみ」と呼んでいる。今まで私は、そういった大音量のくしゃみと、それを発するおじさんたちを若干軽蔑していたが、今日、何気なくくしゃみをしたところ、私の口から出てきたのは「おじさんのくしゃみ」であった。

何ということだろう。

私は、別に大きな声を出そうとしたわけではない。別に声を殺そうとしたわけでもないがしかし、あんな大きな音を出そうとも思っていなかったのだ。ショックだった。「おじさんのくしゃみ」は不可抗力なのか。今まで私が軽蔑してきたおじさんたちも、不可抗力だったのか。

 

いつもの回転寿司屋にて。入店してきたサラリーマンが、席につくや否や大将に「小肌」と注文した。1品目に小肌を注文する奴は通と決まっている。こんな格安回転寿司にも通がいるのか…。と感心していると、そのサラリーマンは2皿目に「カリフォルニアロール」と言った。

通じゃないかもしれない。

 

詭弁

昼下がりの住宅街で、「俺は全人類を心配してるんだ!」と言った男が、隣を歩く女に、「それは詭弁だよ!」と即反論されていた。

私も、「多分、詭弁だろうな」と思った。

 

2020年11月

コロナ感染の第3波が到来中という。

渋谷駅前では、今日も言論の自由が保たれていて喜ばしいことだ。

江戸時代末期の「ええじゃないか」ってこんな感じだったのかな、とふと思う。

youtu.be

2020年

2020年

4月、コロナで渋谷から人が消えた。いつ以来なんだろう、こんなこと、もしかして、2.26事件以来なんじゃないかと思う。自分が生きている時代が、歴史と地続きなのだと実感する。

少しずつ人心がフワフワしていき、1つの脅威に対して、世間の雰囲気という大きな流れが形成されていくのを感じる。そして、出来上がったその流れに抗うことがいかに難しいかということも。今回はウィルスとの戦いだから抗う気もないが、これがもし外国との戦い、つまり戦争への流れだった場合だとしても、抗うことは非常に難しいだろうと感じる。昭和初期の日本は間違っていたが、当たり前だが今より日本人の頭が悪かったとかそういうことじゃない。賢明なだけでは、この流れに抗うのは難しい。実感する。

 

変換ミス

殺伐とした文章の雰囲気を柔らかくするために(笑)と打とうとしたのに(嗤)と変換してしまい、余計に殺伐としてしまった。

 

コミカル

「ひっぱたく」という語感のコミカルさに、つい唸ってしまった。

 

自慢

ついつい自慢話をした後、無邪気に「それってどのくらいすごいんですか?」と聞かれたときの脆さよ。そう言われると自慢するほどすごいことでもないような気がしはじめ、「まあ、そんなすごくもないけどね…」と急に歯切れ悪くなるヘタレ人間だ。

自慢話をするにも度胸がいる。

論語の夢

論語の夢

朝起きたらなぜか机の上に「論語」の原本が置いてあるという謎の夢を見た。表紙に「論語」と書かれたその本は光り輝いており、私は直感で、それが孔子の書いた原本であることを理解した。私は震える手でそれを開いた。だがそれは原本だったため、中の漢文が全く読めなかった。

知的だがバカな夢だった。

 

ツムツム

外出自粛のストレスで、数年ぶりにツムツムを始めてしまった。ツムツムのハートが回復するのを待ってボーッとしている時間こそが、人生で最も無駄な時間だと思う。

 

モラハラ

私も決して性格がいい人間ではないが、友人と飲んでいる時に自分で「俺は下手に結婚したらモラハラ夫とかになりかねないな」と言ったら、「お前は間違いなくモラハラする!」「お前は息を吐くようにネガティブなことを言うが異常だ!」などと強烈なバッシングに会い、正論なんだけど、それを聞きながら「モラハラってこういうことか」と思った。

 

歌詞

高校生の頃、J-POPの歌詞を噛み締めるように正確に暗記していたので、親が流行りの歌を適当な歌詞で歌っているのを見ると「信じられない…」と思っていた。

例えば、「愛してるの響きだけで強くなれる気がしたよ」を「愛してるの響きだけが強くなれる気がしたの」と歌ってしまうような感じだ。

思春期の私は、それによって歌詞の繊細なニュアンスが変わってしまうのが気持ち悪くてしょうがなかったが、30歳を超えた今、カラオケで、うろ覚えな歌詞で最新曲を歌ってしまう私がいる。「夜に駆ける」を出だしから「沈むような 溶けていくような」と歌ったり、一体何が変わってしまったのだろう。

私が当時の親と同じ40代になった頃には、歌詞などどうでも良くなるのだろう

映画祭でグランプリをいただいた話

これはやはり記録しておかなければならない。監督した短編映画「VR職場」が、ついに、グランプリをいただいてしまった。これ以上ありがたいことはない。とにかく今後も頑張って色々な賞に引っかかりたいと思っている私だが、生まれて初めてグランプリをもらう経験というのは、後にも先にもこれっきりなのである。

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そんなこんなで私にグランプリをくれたセンスのいい映画祭は、「渋谷TANPEN映画祭CLIMAXat佐世保(以下略称:STFF-S)」という映画祭であった。簡単にいうと、渋谷で予選が行われ、決勝は佐世保で行われるという短編映画祭だ。色々あって渋谷と佐世保は縁が深いらしく、主催者の方が佐世保出身かつ渋谷で起業されているということもあって、とにかく「STFF-S」は今年で3回目の開催を数えている。

eizousya.co.jp

 

かくいう私も4年間渋谷に住んできた身であり、脚本も渋谷で書いたし、撮影だって渋谷で行った。渋谷のハロウィン真っ只中、宇田川町のガストでゾンビに囲まれながら脚本を書いていたこともある。機材を担いで道玄坂のホテル街を宮沢賢治ばりにオロオロ歩いたこともある。そんな作品(どんな作品だ)が渋谷の映画祭でグランプリをいただけたのだから、これはまさに感無量ということだろう。

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なぜか正面カメラの写真ではなく、横からの写真が使用された新聞

先に述べた通り、渋谷で何回か上映を経たのち、グランプリの発表は佐世保で行われるため、映画祭参加者たちは佐世保に集結する。イベントは三連休を使って行われたが、夜は皆やることがないため、必然、毎日佐世保の街で集まって飲むことになる。皆さん愉快な方々で、仲良くしてくださり、久々に「仕事じゃなく人と仲良くなる」というプロセスを体験したな、と思った。まあつまり、楽しかった。

 

それでもやはりグランプリの発表の前には、少し1人で佐世保の街を散歩し、色々なことを考えたりした。映画祭に応募を始めてそろそろ1年になる。自分にとっては初めての経験が多かった。日本中に数多くの映画祭があることにも驚いたし、DVDを何枚も焼いて、それぞれの応募用紙に記入して送ることの大変さも分かった。(対して、閲覧URLで応募できる映画祭のありがたさよ!)

そして、落選した時のダメージというのにも、最初は慣れなかった。まあ、慣れるのもどうかと思うが、少なくともそれでモチベーションを落としても仕方ない。例えば、映画祭によっては「私たちはあなたの才能を埋もれさせません」というキャッチコピーを掲げているところもある。そういうところに落とされると、「お前には埋もれる才能すらない」と言われているように感じたりした。完全に考え過ぎているし、映画祭の人もそんなつもりじゃないと思うが、始めて自分でゼロから作った作品ということで、自分自身そのものと重ねてしまっていた部分もあるのだろう。余談だが、今回のことで「選ばれるのをただ待つ」というスタイルは精神に悪影響だということを実感した。大奥の人間模様がドロドロになるのもうなずける。

 

一方で、選んでいただいた映画祭も数多くある。落選がかさむにつれて、入選のありがたみが沁みるようになった。ただし、その会場で賞がもらえないということも多く経験した。時にはノミネート監督たちが壇上に上げられて、グランプリが発表される。その時、どういう顔で拍手をすればいいのか?仏頂面がマナー違反なのは分かるが、満面の笑みも違う気がした。

必然、行き場をなくした悔しい気持ちを抱えて帰宅することになる。

眠れない夜もあった。

ある意味、それが表に出ようとする者の勲章なのかもしれないと今なら思うし、今後もそういう夜はあるんだろうけど。

 

そんなこんなで一喜一憂しながら半年ほど過ぎたが、ある日突然思った。

「失ったものを数えるのはもうやめにしよう。得たものを大切にしよう」

気づくのが遅いが、なかなか重要な指標にたどり着いた気がする。思えば、映画祭で得られた人脈も多く、「一番面白い」と言ってくれた人もいた。賞が撮りたいとか、脚光を浴びたいとか、そんな前のめりさが悪いとは言わないが、上ばかり見てクサクサしているのも良くない。

地に足をつけて次のことを考えよう。そう思い始めた矢先のことであった。「STFF-S」で最多部門ノミネートされているという。(作品賞、脚本賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞)最多部門ノミネートというのはつまり、グランプリ最有力候補と捉えて構わない、ということだ。

地に足をつけよう、と決めた直後にグランプリの気配が漂ってくるとは、なかなか人生はうまく噛み合わないものである。(スケジュールに関しては「STFF-S」というのは特殊な映画祭で、1日で全てが決まらない。ノミネートが決定してからも渋谷で何度か上映があり、さらに佐世保で賞が決定するまで2ヶ月ほどの猶予があった)

 

評価してもらえることの嬉しさはある。

だが、今年のアカデミー賞、「アイリッシュマン」が10部門ノミネートされながら無冠に終わったのを見て、他人事じゃないと感じる自分もいる。スコセッシだって無名の日本人監督に感情移入されても困るだろうが、期待が膨らめば膨らむほど、叶わなかった時の反動が大きくなってしまう怖さがあった。

そんなこんなで、なるべく「STFF-S」のことは考え過ぎないように過ごしていたのだが、佐世保に入れば必然意識せずにはいられないし、考える時間もそれなりにある。自分の中で期待と不安どんどん重くなっていくので、どこかで抜いておく必要性を感じていた。最近涙もろくなってきてるし、グランプリ獲って泣くならまだいいが、獲れなくて泣くのはみっともない。そこで私は賞発表の直前、1人で散歩に出て、小田和正の「たしかなこと」を聞いて先に泣いておくことにした。

乱暴な話だが「たしかなこと」を聞けば大抵の景色が感動的になる。(佐世保の景色は元から綺麗だけどね)

5分後、佐世保公園のベンチに謎の号泣男が爆誕した。通報されなくてよかった。

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YouTubeには本家の音源がない。松崎しげるver.ならある。
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佐世保の港

そんなこんなで、実際にグランプリが発表された時、私は安堵し、大変嬉しい気持ちになったが、泣きはしなかった。その代わり、予想外なことに、何か重圧のような、責任感にも似たようなものを感じた。それは、映画祭に対してや、他のノミネート作品に対してのことだと思う。私の勝手な気持ちだし、傲慢かもしれないが、そうだった。思えば、私が今まで映画祭で背中を見てきたグランプリ作品の監督たちも、そのように感じていたりしたのだろうか。

打ち上げにて、他の監督さんたちが気さくに話しかけてくれたり、時には祝ってくれたりしたのを見て、私は今まで、このように広い心で打ち上げに参加してきただろうか、と自省した。きっと皆悔しいに違いない。今日眠れないかもしれない。

それでも、皆笑っている。

まあ、私と違って百戦錬磨の方々だから、もっと違う境地にいるのかもしれない。ついでに言えば、私は他のノミネート作品のほとんどに、別の映画祭で負けたことがあるし、別の映画祭でグランプリをとった作品もある。だから本当に賞というのは、審査員がどこに重点を置くかで全く変わるのである。

そう考えれば、私が今まで重く考え過ぎていただけなのかもしれない。こんな簡単なことに気づくのにも1年かかるんだなあ。

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ありがとうございました

映画祭が終わって、知り合った役者さんと一緒に、佐世保市の外れの防空壕を見に行った。彼の次の出演作品で防空壕のシーンがあるので見てみたいのだという。

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小学生たちがこれを掘ったというのだから驚きだ

特に予定がなかったので、ついて行った。そこには常駐のボランティアガイドのお爺さんがいて、見学者である我々が近づいてくるのを待ち構えており、怒涛の防空壕解説を15分くらい聞かせてくれた。とってもわかりやすいガイドだったが1つだけ難点があり、こちらから質問をしても全て無視されてしまうのである。

RPGのキャラかと思った。防空壕の前に立ってるところから込みで、RPGっぽい。

ガイド内容を暗記しているから、あまりペースを乱されたくないのだろうか。悪意がなく、ナチュラルにスルーされるので、笑いそうになってしまう。とはいえ戦争の話なので、もはや「笑ってはいけない防空壕2020」であった。佐世保の思い出はそんな感じ。

 

徒然と書いてきたが、とにかく、この1年結構もがいてきたな、ということと、「STFF-S」関係者の皆様への感謝の気持ちが記録されていれば、この記事は役割を果たしたとしよう。次の眠れない夜に、またこの記事を読むかもしれないし。